「いま樹海にいて、死のうとしているんだ」自殺を図ろうとしたひきこもり男性に起きた奇跡…うつ病、ギャンブル借金、絶望の人生から這い上がった48歳「今が一番楽しいっすよ」と言えるワケ

46歳で社会復帰をする

数か月後に、気の合う仲間で「東京うつ病友の会」という自助グループを作った。その1年後の2013年には実家を出て、再び1人暮らしを始める。相談に行った行政の窓口で、「家を出なかったら、一生そのまま終わっちゃいますよ」と言われて決意したのだ。

「やっぱり、自助会を立ち上げたのはでかかったですよ。友だちも増えたし、いろんな情報が入ってくるじゃないですか。それで作業所の存在を知って、作業所へ行きながら、ホームページの制作も請け負い始めたんです」

作業所は正式には就労継続支援事業所といい、障害や難病の人が利用できる障害福祉サービスの1つでA型とB型がある。A型は事業所と雇用契約を結び、最低賃金が保障される。B型は勤務時間や日数は柔軟に調整できるが、袋詰めや清掃など単純作業が多く、工賃と呼ばれる賃金を時間給にすると200円あまり。なおさんが通ったのはB型だ。

「規則正しい生活に戻らないと、社会復帰はできないよなと思ったので、5、6年通いました。正直、工賃はどうでもよくて、ちゃんと朝から行って、日中過ごす場所があるってことがすごく大事だなと。作業所だったら勤怠が緩いから、遅刻ばかりだった自分でも大丈夫なんじゃないのって」

ずっと苦しんでいる睡眠障害を改善するため、薬に頼るだけでなく自助会などで勧められた方法を片っ端から試した。その中で特に効果があったのは、ぬるめのお湯に長時間入ることと、牛乳を飲むことだったという。

ひきこもりの当事者会などにも参加するようになり、2019年には精神疾患、不登校などにより、生きづらさを抱えた人向けの交流情報サイト「生きづらさJAPAN」をひきこもり経験者で元SEの友人と2人で立ち上げた。

イベントなどを本格的に開催しようとした矢先、コロナ禍になり活動は大幅に縮小。一方でリモート勤務が進んだことで、思いがけないチャンスが訪れる。

「リモート勤務だったら、フルタイムでできるんじゃないかと思って、B型を辞めてA型の作業所に移ったんです。そこでフルタイムで働けたので、フリーランスのSEでもう一回勝負してみようと思って探したら、月60万円でシステムのプログラミングの仕事が取れたんですよ。ブランクはあったけど、『生きづらさJAPAN』のサイトを一から作った実績もあったし。で、46歳で社会復帰できたんです」

(広告の後にも続きます)

あきらめなかったことが道を開く

なおさんと同じように、なんらかの理由で追い詰められ、その後何年もひきこもったまま抜け出せない人は大勢いる。

それなのに、なおさんはどうして社会復帰できたのか。ひきこもったままの人と何が違うのか。そう聞くとなおさんはしばらく考えて、こう答えた。

「“頑張る種”があったから、頑張れたんですかね。過酷だったけどキラキラしていたITの世界に戻りたいとか、趣味のポーカーも働けなくなってやめちゃったけど、大会にもう一度出て勝ちたいとか。

幼少期にいじめられたことはすごくツラかったけど、それを働けない言い訳にしなかったこともある。あとは、あきらめなかったことが大きいかな。ひきこもりの人の中には、自分は働けないって最初からあきらめちゃってる人もけっこういると正直、感じます。

でも、俺はこのままじゃダメだという危機感は常に感じてましたもん。やっぱ、普通に働いているほうが絶対いい。堂々と生きていられるから。だけど、それを当事者会とかで言うと大反発食らうから、伝え方が難しいけど」

また、自助グループの仲間の存在も大きかったそうだ。なおさんが仲よくなった人たちは、「絶対に社会復帰しよう、そのために知恵を出し合おう」という雰囲気で、みんなで励まし合えた。実は、その仲間の中には6年間付き合った恋人もいた。社会復帰に向けてお互いに頑張るうちに忙しくなって別れてしまったが、「彼女のおかげで自分も頑張れた部分もあったので」感謝しているという。

晴れて社会復帰したとはいえ、病気を抱えたまま仕事をするのは、簡単ではない。なおさんの場合、双極性障害で気分の上がり下がりがあり、対人トラブルを起こしやすい。

それに加え、リモート勤務ではコミュニケーションもチャットを使うので、ニュアンスがうまく伝わらずに行き違いが多発したそうだ。ブランクを埋め合わせるのも大変で、「めっちゃキツイっすよ」とこぼすが、表情は明るい。