<箱根駅伝の生中継を生んだ男>現・WOWOW会長が信じるパラスポーツの力と“フィロソフィー”とは?

WOWOWのドキュメンタリーシリーズ『WHO I AM』。パラアスリートや障害を持つアーティストの内面に迫る内容で、国内外から高い評価を得、数々の受賞歴もある。これまで良質な番組を作り続ける制作者の思いや、日本のパラスポーツ中継の歩みについて取材してきた。最終回となる第3回では、日本のスポーツ中継の歴史を築いて来たテレビマン、田中晃・現WOWOW会長の“哲学”を聞いた。

箱根駅伝生中継という不可能への挑戦

日本テレビ在籍時代に、今や正月の風物詩となった箱根駅伝のテレビ生中継を初めて成功させたWOWOWの田中晃会長は、スポーツ中継で最も大切なことは「フィロソフィー(哲学)の具現化」だと話す。それはどのようなものなのか。

「スポーツというのは、独占中継が基本です。つまりは、視聴者は制作者を選べない。『ありのままに見せてくれたらいい』なんて意見もありますが、それはそれで難しいことなんです。中継をする以上では、そこには中継をする側が何を伝えるかを明確にし、それを自覚することが重要です」(田中氏)

そのことをはっきりと認識した出来事の一つが、1987年に初めて生中継された箱根駅伝だった。

(広告の後にも続きます)

“箱根中継”で守り続ける最重要事項とは?

今でこそ正月の風物詩となった箱根駅伝だが、当時は生中継をすること自体が不可能だと考えられていた。総走行距離は往路と復路を合わせて10区間、217.1km。フルマラソンの5倍をゆうに超える。さらに山登りの5区は標高差800mを一気に駆け上がる。正月の時期なので、天候によっては路面凍結の危険性があるなかを、中継車が確実に選手を追いかけなければならない。

そもそも、知名度は高くても、箱根駅伝は関東圏の大学が実施しているローカル駅伝大会でしかない。それでも、これほど人気があるのはなぜなのか。なぜ、選手は大会に出ることに青春を捧げるのか。田中氏は、箱根駅伝初のテレビ生中継の総合ディレクターに指名されたとき、その理由の重さに驚かされた。

「過去に出場経験のあるOBたちに話を聞くと、みんな少年のように目を輝かせながら、人生の宝物のように語るんです。一方で、大会本番で思うような走りができずにブレーキがかかった人は、人生の大きな挫折として心の傷になっている。箱根駅伝で走ることは、ランナーにとってそれほど重いものなんです」

OB選手たちに話を聞き続けるうちに、箱根駅伝には出場した選手たちに共通の想いがあることがわかった。もちろん、チームの最大の目標は総合優勝だ。次に大切なのは10位以内に入って翌年のシード権を獲得すること。そして、選手個人として重視されていたのは区間賞争いだった。

「これらのポイントは、今なら、箱根駅伝をテレビ観戦する人は誰でも知るようになりました。でもそれ以上に、箱根駅伝に出場するランナーが大切にしている価値がある。それは、『タスキを次につなぐこと』なんです。その重みを、どの人も熱く語る。すごいなと思って、だから中継ではタスキリレーを中継のフィロソフィーの最重要事項にした。日本テレビは1987年に箱根駅伝の生中継を開始して以来、全校全区間のタスキリレーを中継している。誰一人としてカットしたことはない。つまるところ箱根駅伝とは、どの大学が勝つかというよりも、タスキを繋ぐ選手個人のドラマの集合体です。それを表現できなければ、中継する資格はないんです」

個人のドラマが重要で、それを象徴するのがタスキリレーである。だからこそ、レースを実況するアナウンサーが「○○大学がタスキを渡しました」という表現を使うことは許されない。大学名と一緒に、必ず選手個人の名前を伝える。こういった決め事を田中氏は「フィロソフィーの具現化」と呼ぶ。中継の本番前には、700人にのぼる中継スタッフに対して、このフィロソフィーを徹底するのだという。