Credit:Generated by OpenAI’s DALL·E,ナゾロジー編集部
12世紀末、平安の乱世。
源氏と平氏がぶつかり合った男たちの抗争の中に、一人の女武者がいたことをご存知でしょうか。
その名前は「巴御前(ともえごぜん)」。
彼女は信濃国(現在の長野県)の武将「木曾義仲(きそ・よしなか)」に仕えた無双の戦士として語り継がれています。
言い伝えによると、巴御前は色白の美しい容姿を持ちながら、敵兵を次々と射ち倒す弓の使い手だったという。
血生臭い時代の中で、彼女はどのような生涯を送り、どんな最後を迎えたのでしょうか?
目次
巴御前は『平家物語』にのみ登場する人物無双の女武者「巴御前」の活躍巴御前、最後の戦い
巴御前は『平家物語』にのみ登場する人物
実は巴御前の生涯を包み隠さず、明らかにすることはできません。
というのも彼女についての記述は、源平の戦いを描いた『平家物語』とその異本(※)にしか記述がないからです。
(※ 『平家物語』には、琵琶法師が口承で語り継いだ「語り本系」と、写本として残した「読み本系」があり、その中で内容や巻数が少しずつ異なるバージョンがたくさん派生しました。この別バージョンを「異本」といいます)
しかも巴御前の話は『平家物語』の中の「木曾最期」の章段だけに登場します。
そこで彼女の素性を紐解くには、木曾義仲のストーリーを追うのが一番なのです。
平家物語図屏風 / Credit: ja.wikipedia
義仲、父を殺され信濃国へ
義仲は源氏の武将である源義賢(みなもとの よしかた)の長男として、1154年に武蔵国(今の東京と埼玉)に生まれました。
義賢はのちに鎌倉幕府を開く源頼朝の父・義朝の弟にあたるので、義仲は頼朝と従兄弟の関係にあります。
義仲の幼名は「駒王丸(こまおうまる)」でした。
ところが駒王丸が2才になった頃、義賢は実の兄である義朝により殺されてしまいます。
これには源氏の複雑な勢力争いが絡んでおり、義朝が弟である義賢の力が大きくなるのを恐れたためと伝えられています。
源義仲(木曾義仲)の図絵 / Credit: ja.wikipedia
そこで駒王丸は武蔵国から、乳母の実家がある信濃国の中原兼遠(なかはらのかねとお)の下で庇護されることになりました。
この中原兼遠の妻であり、駒王丸の乳母だったとされるのが千鶴御前(せんつるごぜん)という女性。
そして中原兼遠と千鶴御前の間にできた娘が「巴御前」だったのです。
(巴御前の生没年は不詳ですが、義仲と同じ年か少し下くらいと見られています)
こうして駒王丸は信濃国の信州木曾を”第二の故郷”として、兼遠に武術指南を受けながら逞しく成長していきました。
このとき、駒王丸は兼遠の実の息子であり、のちに自身の家臣となる「今井兼平(いまいかねひら)」や「樋口兼光(ひぐちかねみつ)」と兄弟同然のような関係を築いています。
おそらく、巴御前も彼らに混じって武術訓練を受け、男勝りの女武者へと成長していったのでしょう。
そして駒王丸は元服して「木曾義仲」と改名し、巴御前らと共に平安の乱世へと身を投じていくのです。
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無双の女武者「巴御前」の活躍
時は1180年、京の都では不穏な空気が漂い始めていました。
平氏の武将・平清盛がクーデターを起こし、天皇である後白河法皇を幽閉して、さらには後白河法皇の第三皇子である以仁王(もちひとおう)の領地まで没収しました。
こうした一連の横暴に耐えかねた以仁王は、全国各地の源氏に平家討伐の兵を挙げるよう命令を発します。
ここに源氏と平氏の一大戦争が勃発し、源氏の一門である木曾義仲も戦地に出陣することになったのです。
そして、その側には美しき女武者である巴御前の姿もありました。
巴御前出陣図 / Credit: ja.wikipedia
巴御前、戦場の鬼神となる
義仲率いる源氏軍は信越・北陸各地を転戦し、連戦連勝を重ねます。
中でも獅子奮迅の活躍をしたのが巴御前でした。
彼女は男もなぎ倒す怪力と正確無比に敵を射抜く弓の使い手であり、1181年の横田河原の戦いでは敵七騎を討ち取って名を上げました。
『平家物語』には「巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」と記されています。
美人で最強というアニメのような人物だったようですね。
勢いに乗る義仲軍は徐々に京の都へと勢力を伸ばし、1183年7月にはついに京都から平家一門を追い出して、上洛(京都に上ること)に成功します。
その活躍が認められた義仲は、後白河法皇から「朝日の将軍」という称号を与えられ、人生の絶頂期を迎えました。
天皇から「朝日の将軍」との称号を授かった義仲だったが / Credit: ja.wikipedia
しかし『平家物語』の有名な出だしに「盛者必衰の理をあらはす(どんなに勢い盛んな者も必ず衰える)」とあるように、彼の栄華も長くは続きませんでした。