パリオリンピックが幕を閉じ、いよいよパラリンピックにバトンが渡った。パラスポーツを支援するパートナー企業の在り方は東京2020大会を契機に過渡期を迎えたと言われるが、2018年から一般社団法人日本車いすテニス協会のトップパートナーを務める「株式会社かんぽ生命保険」は息の長いサポートを継続している。近年、力を入れるジュニア選手の総合的な支援も長い時間をかけ選手の競技活動と子どもたちの成長を後押しするプロジェクトだ。後編では、生命保険事業とパラスポーツの親和性、創業当初から続く社会貢献活動について聞いた。
パラスポーツの価値はメダルに限らない
株式会社かんぽ生命保険(以下、かんぽ生命)が車いすテニス選手の育成強化に繋がる実質的な支援を続ける一方で、試合結果やメダルばかりにパラスポーツの価値を見出しているわけではないという。
重視するのは長期的な視点に立った「ストーリー性のある支援」と、それによってもたらされる社内外への影響だ。例えば、かんぽ生命は大会や体験会などのイベントを開催するだけでなく、選手を社員として採用し仲間に迎え応援している。2020年4月、同社初のアスリート社員として入社した大谷桃子がその一人。
女子車いすテニス選手の大谷は高校時代、テニスでインターハイに出場したが卒業後まもなく、病気で車いす生活を余儀なくされた。だが、父親の勧めで2016年に始めた車いすテニスで頭角を現し、わずか2年後の2018年アジアパラ競技大会シングルスで銅メダルを獲得。
その後も日本代表として成長を遂げ、2020年に初出場したグランドスラムの全仏オープンで女子シングルス準優勝。翌年の東京2020パラリンピックではトッププレーヤーの上地結衣とのダブルスで銅メダルに輝いた。
また、2022年4月から同社所属の髙野頌吾は現在大学3年生の男子車いすテニス選手。6歳の時に新型インフルエンザの合併症で車いす生活となり、その頃、テニス界のレジェンドである国枝慎吾さんのプレーに感化され車いすテニスを始めた。
ジュニア時代から活躍する髙野は国別対抗戦「2021BNPパリバ・ワールドチームカップ」で、国枝の後継者として脚光を浴びる小田凱人らとともに金メダルを獲得しているが、目指してきたパリパラリンピック代表には届かなかった。それでも、かんぽ生命のサポート体制は変わらないとサステナビリティ推進部部長の浅倉哲也さん。
「夢に向かって自分らしく挑戦を続ける大谷選手や髙野選手を応援することで社内が盛り上がり、日の丸をつけて戦う2人を誇りに思うといった社員の声もあります。また、ダイバーシティの意識も社内に浸透していると感じます。お客さまにもパラアスリートの活躍を知っていただくことでパラスポーツに興味を持ってもらえて、当社の取り組みと理念に共感していただけていると実感しています」
(広告の後にも続きます)
約100年の歴史あるラジオ体操の普及と推進
かんぽ生命は、日本人に馴染みの深いラジオ体操推進でも社会貢献を目指している。その結びつきの歴史は長く、さかのぼること96年前の1928年、かんぽ生命の前身である逓信省簡易保険局が先駆けとなり、国民の健康保持推進のため「国民保険体操」として始まったのがラジオ体操である。
以降、ラジオ体操は今日まで『いつでもそばにいる。どこにいても支える。すべての人生を、守り続けたい』というかんぽ生命の経営理念を象徴する重要な事業として普及推進が続けられている。
「サステナビリティ推進部にラジオ体操専門の担当者がいて、全国各エリアにも推進役がいます」と誇らしげな浅倉さん。
「全国共通の出席カードも年間数百万枚、全国の郵便局を通じて小学校などにお配りしたり、小学校向けのコンクールを開き、ラジオ体操の練習成果を動画で募集して表彰もしています」と話す。
地域における人々の結びつきが希薄になっている昨今、ラジオ体操はコミュニティづくりにも一役買っている。
浅倉さんが長野県松本市に出張に出かけた時のこと。「早朝、散歩をしていたら松本城の敷地内に住民の皆さんが集まってきてラジオ体操をしている光景を見た」という。体操を終えた後は皆、笑顔で交流を楽しんでいたそうだ。
そんなラジオ体操のキャッチフレーズは「いつでも、どこでも、誰でもできる体操」
「ラジオ体操には座位のバージョンもありますので、お年寄りの皆さんや、障がいのある方にもできます。そういった意味でパラスポーツと重なる部分があると言えるのではないでしょうか」(浅倉さん)