新宿・歌舞伎町「夜のショートケーキ専門店」が、夜だけ営業なのに爆売れする理由。

銀座の女将が歌舞伎町デビューした理由

―日本に帰ってからはどこではたらきましたか?

「日本一の料亭ってどこだろう」と考え、宮内庁お抱えの派遣会社に就職して「桜を見る会」など天皇陛下が参加する行事や政府関係の宴席も担当しました。半年ほどはたらきましたが、年配の人たちばかりの人間関係に疲れてしまい、辞めました。

それからいろんなお店を転々とし、24歳で銀座の料亭で雇われ女将になりました。職場で出会った板前と結婚し「海外で勝負したい」と言う彼とともにフランスに渡り、UNESCOの日本大使館で2年ほど接遇のサポートをしましたが、30歳手前で日本に帰国。海外生活を通して方向性の違いがあり、その後離婚しました。また元の銀座の料亭に戻り、雇われ女将に復職しました。

―怒涛の変化ですね。料亭の雇われ女将から、どうやってケーキ屋のオーナーになったのでしょう?

5年かけてその料亭をミシュランの星2つを取れるまで育てたのですが、給料は上がらずボーナスも雀の涙で「なんでこんなに売り上げに貢献しているのに待遇が変わらないんだろう?」と思い、32歳でその料亭を辞めてフリーランスの女将になり、複数の店舗に関わりました。

それでも給与条件が良くならず「もう女将はやりたくない、転職したい」とこぼしていたら、知り合いに紹介されたのが歌舞伎町の老舗ホストクラブの広報で、35歳で手取り30万円の条件で入社しました。これが歌舞伎町とSNSに精通するようになったきっかけです。

―ホストクラブの広報と言うと、どんな仕事をするのでしょうか?

広報初心者だったので、プレスリリースを書いたりSNSを運用したりと基礎的なことからスタートしました。でもPRをしっかりやっているホストクラブはほとんどなく、学びながらやるうちにテレビなどメディアから声をかけられるようになったんです。5年間でホスト2,000人にSNSを教えて、一人ひとりのブランディングにも携わりました。「SNSを極めたらどのビジネスも成功する」と感じ、SNSの運用スキルに自信がついた41歳のタイミングでSNSコンサルティングを行う株式会社縁多を起業しています。

―起業した時点で、ケーキ屋もやろうと決めていたのですか?

いえ、最初にやったのはSNS運用です。当時はコロナ禍で集客に困っている飲食店が多く、飲食時代の仲間から相談をたくさん受けたので、得意だったSNSのサポートをしました。そこで得た資金を元手に、念願のケーキ屋を立ち上げました。

―すでに人気店ですが、今後はどんなことをしていきたいですか?

店舗が狭くてテイクアウト販売ができていないので、遅くまではたらいた人が自分へのご褒美やだれかのお祝いとしておいしいケーキを買える店舗も作りたいです。
あと、私のルーツは飲食店ですから、SNSコンサルで飲食店のサポートもしていきたいですね。おいしいものって人を幸せにするじゃないですか。おいしいものを作っている人も幸せでいてほしいので、少しでも力になれたらと思います。

(文:秋カヲリ、写真:永田太郎)