日本人の多くがハマスのことを単なるテロ組織だと認識しているが、実際はそうではない。ガザの全域に支部を持ち、多くの人々の生活を支援している。食糧、教育、医療、ハマスが存在しなければガザの生活は成り立たないのだ。
ハマスの社会慈善活動の実態を、書籍『ハマスの実像』より一部抜粋・再構成してお伝えする。
ハマスの普段の顔は社会慈善組織
ハマスと言えば、日本人の多くが「テロ」という言葉を思い浮かべるかもしれないが、ハマス系の社会組織サラーハ協会の病院やコンピューター教室などを運営しており、パレスチナ、特に本拠地のガザの中で日常的に目にするハマスは、イスラム的な社会慈善組織である。
ハマス設立の中心人物アフマド・ヤシーンは、エジプトで大学教育を受け、ガザで学校教師をしながら、パレスチナでの同胞団メンバーとして1967年にモスクに併設してイスラム協会を設立し、教育プログラムや社会事業、慈善事業を始めた。
また、イスラム・センター(ムジャンマ・イスラミ)を設立し、さらに孤児を無料で受け入れる小中高一貫校を運営するサラーハ協会を発足させるなど、社会事業を拡充させてきた。
ガザでのハマス系の社会慈善組織には、イスラム協会、イスラム・センター、サラーハ協会の三つがある。三つとも、パレスチナ自治政府の下ではNGOとして社会問題省に正式に登録され、湾岸諸国や欧米にあるイスラム社会組織から援助を受けていた。
私は1990年代半ばからカイロのムスリム同胞団系の慈善組織を取材してきたが、エジプトの同胞団は非合法組織で、表向きは同胞団系であることは隠して活動しており、同胞団系の慈善組織は看板も何もない目立たないビルの一室で秘密組織のように活動していた。
それに比べると、ハマス系の社会組織は三つとも公的に承認され、ガザの全域に支部を持ち、数千、数万人単位で貧困家庭や孤児支援をしている。エジプトの同胞団系の組織よりも明らかに巨大で、組織化され、サービスも充実していた。
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難民キャンプでの食料、教育、医療支援
2007年10月、ガザ市の北にあるガザ最大の難民キャンプ、ジャバリア難民キャンプの中にあるイスラム協会ジャバリア支部を訪ねた。協会の入り口で、何人もの男たちが大きなビニール袋を手に提げて出てくる。
その1人を呼び止めると、イブラヒムと名乗る45歳の男性は、月に1回の無料食料配布の日だと言う。イブラヒムは「以前はイスラエルの建設現場で働いていたが、6月からイスラエルに行くことができなくなり、収入がなくなったので、この協会の支援を受けている」と語った。
この年の6月には、ハマスの軍事部門がパレスチナ自治政府の警察・治安部隊を排除してガザを武力で制圧したために、イスラエルが封鎖を始めた。
封鎖前は12万人のパレスチナ人がガザからイスラエルに働きに出ていたが、封鎖によってほとんどが失業し、生活困窮者が増えた。イブラヒムがこの日、配布された食料バッグを開いて見せてくれた。豆、お茶、小麦、パスタ、砂糖などが見える。
「これだけだと数日でなくなるが、収入がなくなった時に援助してもらえるのはありがたい」と語る。
子供は息子2人、娘4人の計6人で、幼い2人以外は国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の学校に通っている。9月に新学年が始まった時には学校バッグが配布され、その中にノートや鉛筆など学用品が入っていた。
9月はイスラムのラマダン(断食月)にあたったので、特別に食料バッグが配布され、子供たちには新しい服が配られた。「最近、2歳の末の娘に熱が出た時に、協会に所属するイスラム・クリニックに連れて行った。医療費は免除だった。4歳の娘は今年から協会がやっている幼稚園に通っている」と語った。
アラファトの後を継いだアッバスが議長として率いるファタハが主導するパレスチナ自治政府の時代と、ハマスが支配してからの時代と、何か状況の変化があったかどうかを質問すると、イブラヒムは即座に「町の治安がよくなった」と答えた。
「以前は、武器が町のいたるところにあって、昼間でも銃を持った男たちがうろうろして、車が盗まれたり、店に強盗が入ったりして、治安が乱れていた。外出するのが怖いこともあった。ハマスになって、交通警察官も増えたし、治安は確実によくなった」。
イスラエルの封鎖が始まったのはどう思うのか、と質問すると「政治のことは分からない」と言葉を濁したが、「早くまたイスラエルに働きに行くことができるようになって欲しい。ガザでは国連の建設プロジェクトなどで仕事にありつくこともあるが、それだけではとても足りない。子供たちはまだ小さいし、いつまで封鎖が続くのか、将来を心配している」と語った。