M31: アンドロメダ銀河。 / Credit:Wikipedia
アンドロメダという天体について、「アンドロメダ大星雲」と「アンドロメダ銀河」という二通りの呼び方を聞いたことがあると思います。
そのためアンドロメダには大星雲と銀河が、それぞれあるんじゃないかと勘違いしている人もいるかもしれません。
しかし、この2つは同じ1つの天体を指しています。
星雲と銀河。まるで違う天体なのに、なぜ混同して呼ばれているのでしょう? 今回はその理由を天文学の歴史を通して解説していきます。
目次
すべての始まり 星雲を記録したメシエ・カタログ天の川銀河の発見と宇宙の形星雲か? 銀河か? 初めて渦巻銀河をスケッチしたロス伯爵宇宙はどこまで広いのか?銀河間の距離測定法の発見
すべての始まり 星雲を記録したメシエ・カタログ
星雲(NGC 604)。 / Credit:Wikipedia
星雲は、星間ガスや宇宙塵が集まってできた、その名の通り宇宙に浮かぶ雲のような天体です。
古代の天文学者たちは肉眼でこの天体を発見し、「ネビュラ:Nebula」(星雲の英名。語源はラテン語で霧・雲を表す単語「nebura」)と呼んだのです。
はっきりとした星の輝きと異なり、ぼんやりと滲んで見えるこの天体は天文学者たちにとってずっと謎の存在でした。
しかし、望遠鏡の精度が上がってくると、星雲は非常に夜空にたくさんある天体だということがわかってきます。
正体はわからないものの、星雲というほんやりした天体は宇宙ではごくありふれたもので、それほど特殊な天体ではないという認識が天文学者たちの間には広まっていくのです。
そんな星雲の研究で有名なのが、18世紀フランスの天文学者シャルル・メシエです。
星雲のカタログを作成したフランスの天文学者、シャルル・メシエの肖像。 / Credits: NASA,R. Stoyan et al., Atlas of the Messier Objects
ただ、メシエ自身は星雲の研究をメインにしていたわけではありませんでした。メシエは時の国王ルイ15世から、「彗星探索者(フユレ・デ・コメート)」の二つ名を賜ったほどの彗星研究者だったのです。
メシエは夜空で彗星を探すとき、彗星と非常によく似た紛らわしい天体が多いことに悩みました。
その紛らわしい天体こそが星雲です。
当時の望遠鏡では、尾を伸ばして夜空を駆ける彗星と、ぼんやり滲んだ星雲は非常にそっくりで見分けがつかなかったのです。
星雲は動かないので時間が経てば見分けがつきますが、見つけるたびに動くまで確認したのでは時間がかかって仕方ありません。そこでメシエは、発見したこの紛らわしい天体(星雲)の一覧表を作ることにしたのです。
メシエは1784年までに103個の星雲を発見し、そのスケッチを記録として残しました。そしてこのスケッチの一覧は「メシエ・カタログ」と名付けられました。
メシエによる星雲のスケッチ。 / Credit:wikipedia
メシエカタログに記録された星雲には、すべて「M」から始まるメシエナンバーが割り振られています。
ウルトラマンの故郷とされる「M78星雲」というのも、メシエカタログの78番目に記録されている星雲という意味です。
アンドロメダ星雲は、このカタログに「M31」として記録されています。しかし、アンドロメダは現在は星雲ではなく銀河であることが分かっています。
このことが、長い天文学の論争の始まりとなるのです。
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天の川銀河の発見と宇宙の形
銀河とは、誰もがよく知る通り数万を超える大量の星々が集まった領域のことです。
わたしたちの属する太陽系は、天の川銀河の中にあります。
この事実を発見したのは18世紀イギリスの天文学者、ウィリアム・ハーシェルでした。
ハーシェルが天体観測の結果から予測した天の川銀河のスケッチ(左),ウィリアム・ハーシェルの肖像(右) / Credit:wikimedia commons,wikimedia commons
ハーシェルは天体はすべて同じ明るさで輝いていると考え、明るさの違い=距離の違いという考え方から観測した星をプロットし、地球がパンケーキ型の星の集まりの中にあるということを発見したのです。
ハーシェルはその後、メシエカタログを手に入れて同様に星雲の観測も行い、メシエを超える数千もの星雲を発見しました。
星雲の中には1つだけ星の輝きと思えるものが見つかることがあり、ハーシェルは、星雲が宇宙で塵などの集まった雲であり、1つの星雲からは1つの星が生まれてくるのだと考えました。
現代でも星雲(分子雲)が星の種であり、これが重力的に集まることで恒星が誕生すると考えられています。
そのため、ハーシェルは18世紀の人物でありながら、かなり現在の理解に近い推測をしていたのです。
しかし、彼の考えでは星雲はすべて天の川銀河の中にあり、その外には天体はないだろうと考えていました。彼は天の川銀河が宇宙で唯一無二の銀河だと信じていたのです。
一方、18世紀ドイツの哲学者イマニュエル・カントは宇宙には天の川銀河に匹敵する巨大な銀河がいくつもあると考えていました。
ドイツの哲学者イマニュエル・カント。 / Credit:wikimedia commons
このとき彼は銀河のことを「島宇宙」と表現したそうですが、天の川も島宇宙の1つであり、星雲とは天の川の外に浮かぶ他の島宇宙なのだと主張したのです。
その根拠としてカントは、星雲のスケッチの多くが楕円形になることを上げました。天の川銀河はパンケーキ型の円盤をしています。これを斜めに見れば楕円に見えます。
そして霧や雲のように見えるのは、その距離が想像を絶するほど遠いため、大量の星の光が滲んでいるからだと説明したのです。
これは現代から見れば銀河に対する非常に正しい解釈でした。
ただ、こうした考え方をカントができたのは、観測事実以外に彼の神学的な信念も関係していました。
カントは神がこの宇宙にたった1つの銀河しか作らなかったとは考えられなかったのです。宇宙は無限であり巨大な銀河も宇宙には無数に浮かんでいる。それがカントの考える神の作りし世界の姿だったのです。
銀河は我々の天の川が唯一無二なのか、宇宙ではありふれた天体なのか? 星雲ははるか彼方の銀河なのか、天の川の中にある塵の雲なのか?
以降、ハーシェルとカント、どちらが正しいのかという議論は世紀をまたいで長く続くことになります。