星雲か? 銀河か? 初めて渦巻銀河をスケッチしたロス伯爵
外の銀河の詳細を初めてスケッチしたのは、莫大な財産を持つアイルランドの貴族、第3代ロス伯爵ウィルアム・パーソンズでした。
第3代ロス伯爵ウィリアム・パーソンズ。 / Credit:wikimedia commons
一般にはロス卿と呼ばれるこの人物は、玉の輿で莫大な財産を手にしましたが、飢饉の時期には農民たちから小作料を受け取らず、地域社会のために資金を振り分けるなど人望ある政治家でした。
そんな彼の人柄はともかく、ロス卿は天体観測に強い情熱を傾ける天文学者でもあり、職人たちとともに鉄くずにまみれながら、当時としては世界最大級となる重さ3トン、直径1.8メートル、長さは16.5メートルにもおよぶ巨大望遠鏡を3年の歳月を費やして建造したのです。
ロス鏡の72インチ望遠鏡。リヴァイアサン(怪物)の異名を持っていた。 / Credit:wikimedia commons
この怪物級の望遠鏡は、かすかにしか見えない星さえも明るく映し出し、ぼんやりした雲にしか見えなかったメシエカタログの星雲の詳細な姿も明らかにしたのです。
ロス卿がこの望遠鏡によって最初に詳細なスケッチを行ったのが「M51」星雲で、これは現代では子持ち銀河と呼ばれているりょうけん座にある渦巻銀河です。
下の画像の左がロス卿のスケッチ、右がNASAのハッブル宇宙望遠鏡が撮影したM51の姿です。
M51子持ち銀河のスケッチとハッブル宇宙望遠鏡写真。 / Credit:Wikipedia,S. Beckwith (STScI) Hubble Heritage Team, (STScI/AURA), ESA, NASA
これを見るとロス卿はリヴァイアサンと呼ばれた望遠鏡を使って、見事な精度で銀河の渦巻構造をスケッチしていたことがわかります。
この銀河には腕の先に小さな伴銀河があり、そのためこれはロス卿のクエスチョンマーク星雲という呼び方をされることもあります。
これは当時のヨーロッパでも大変話題になり、ゴッホの星月夜の絵画はこのスケッチにインスピレーションを受けたという噂もあるほどです。
光学観測の精度が上がったことで、星雲の持つ構造の複雑さが徐々に明らかになってきました。ロス卿はこの観測から、星雲がただのガス雲ではないと考えるようになりました。
「星雲それ自体には、星がたくさん散りばめられている」
彼はそう考えたのです。
しかし、彼のスケッチはそのことを証明する決定的な証拠にはなりませんでした。
なぜなら、当時の知識ではこの天体がどのくらいの距離にあるのかということは不明だったからです。
この天体が天の川銀河の中にあるのか? 外にあるのか? それが分からなければM51が単に複雑なガス雲なのか、星の集まった別の銀河なのか答えることはできません。
星雲か? 銀河か? この論争に決着をつけるには、天体との距離を調べる方法が必要だったのです。
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宇宙はどこまで広いのか?銀河間の距離測定法の発見
星雲は銀河なのか? 天の川銀河以外にも外の宇宙に銀河はあるのか? この論争は意外なほど長く続き、20世紀になってもまだ決着が付きませんでした。
それは遠い天体との距離を測る方法がいつまで経っても見つからなかったためです。これについては、ほとんどの天文学者があきらめムードになっていました。
しかし、1912年アメリカの女性天文学者リービットがその問題を解決させます。
アメリカの女性天文学者ヘンリエッタ・スワン・リービット。 / Credit:wikimedia commons
リービットは現代では女性天文学者として伝えられていますが、実は当時天文台で雇われていたただのパートタイマーでした。
パソコンもなかった当時、観測した膨大な天体写真を整理するのは大変な作業で、ハーバード天文台は女性パートタイマーを雇ってその整理をさせていたのです。
リービットは毎日、大量の天体写真乾板を整理してカタログ化していく作業の中で、同じ領域に映る星の中に何百日もの時間をかけて明るさが変化している星があることに気づいたのです。
さらにリービットはこの星の変更周期が長いほど明るい星であることに気づきました。
ミラの変光星の光度曲線。 / credit:国立科学博物館Copyright (c) 1998-2008 National Museum of Nature and Science. All rights reserved.
宇宙の距離を測るのが難しいのは天体がそれぞれバラバラの明るさで輝いているためです。
もし同じ明るさで光る星を特定できた場合、見える明るさの違いから両者の距離を比較することができます。なぜなら明るさは距離のニ乗に比例して減衰していくからです。
同じ明るさなら、見かけの明るさを利用して距離を推定できる。 / Credit:depositphotos
セファイドと呼ばれるこの変光星を発見したことで、リービットは遠い天体と地球との距離を測定する方法を世界で初めて示したのです。
ただ残念ながらリービットは十分な評価を受けることもないまま、この世を去ってしまいます。しかし、彼女の発見が最終的に星雲の正体に関する問題を解決することになるのです。
この長い論争に決着をつけたのは、世界一有名な宇宙望遠鏡の名前にもなっているアメリカの天文学者エドウィン・ハッブルです。
20世紀を代表する天文学者エドウィン・ハッブル。 / Credit:wikimedia commons
この写真からも感じ取れますが、ハッブルは非常にお洒落で優雅に振る舞う天文学者だったといいます。
彼はいつも陸軍のトレンチコートを着て観測を行い、パイプに火をつけるときは擦ったマッチを空中で一回転させてキャッチするというパフォーマンスも見せたそうです。
ただ、そんな彼の華麗な立ち振る舞いとは正反対に、当時の天体観測は非常に過酷な作業でした。
ハッブルの勤めていたウィルソン山天文台は、観測の邪魔になる大気の影響を少しでも減らすため標高1700メートルの高地にあり、夜間の観測中は涙が凍りつき、望遠鏡の覗き口に目が張り付くこともあったそうです。
ウィルソン山の100インチ望遠鏡(2.5メートル)。 / Credit::wikimedia commons
そんなウィルソン山天文台でも星雲の正体に関しては意見が分かれていました。
ここの天文学者の多くは、天の川銀河が宇宙で唯一の銀河であり、星雲は銀河の中にあると考えていたのです。
しかしハッブルは違いました。彼は星雲が遠い宇宙にある別の銀河だという説を支持していたのです。
この頃のハッブルは、繰り返し繰り返しアンドロメダ星雲の撮影を行っていました。
そしてある日、天候が良かったので少し露光時間を伸ばして撮影したところ、写真の中に明るく輝く星を見つけたのです。最初彼はそれを「新星」だと考えていました。
しかし、他の写真と見比べたところ、それがセファイド(変光星)であることに気づいたのです。
ハッブルが観測したアンドロメダ銀河の写真乾板。星を示したメモがN(新星:Nova)という字が消されてVAR(変光星:variable star)に書き換えられている。 / Credit:JAXA,ウィルソン山天文台
星雲の中にセファイドを発見したということは、リービットの研究を使えば、その星雲との距離を測ることができます。
ハッブルは観測データとリービットの研究データを比較してその距離を計算してみました。
その結果アンドロメダ星雲はおよそ90万光年の彼方にあるとわかったのです。
天の川銀河の直径はおよそ10万光年です。これはアンドロメダ星雲が天の川銀河のはるか彼方の外に存在していることを意味していました。
そして、そんな遠い天体が雲のように見えるということは、それがガスや塵の雲ではなく、無数の星々が集まって輝く別の銀河であることを示しています。
こうして1771年にメシエによってカタログの31番目の星雲として記録されていた天体アンドロメダが、実は銀河だったということが明らかになったのです。
1923年のことでした。
こんな長い経緯があったため、今でもメシエカタログに記録された天体は銀河なのに星雲と呼ばれることがあります。
今では、メシエカタログに記録された多くの星雲が、実は銀河であることが分かっています。その一覧はNASAのページで見ることができます。
天文学の歴史に思いを馳せながら、ぜひメシエカタログの天体を眺めてみましょう。
ちなみにウルトラマンの故郷M78星雲は本当にただの星雲です。しかし、これは台本の印刷ミスだったと言われていて、本当の設定ではM87星雲なのだそうです。
M87星雲は、私たち天の川銀河も含めた100以上の銀河が集まる「おとめ座超銀河団」の中心となる楕円銀河です。
こっちのほうが確かにウルトラマンの故郷に相応しい感じがしますね。この勘違いも、銀河のことを慣習的に星雲と呼んでしまっていたことが問題だったのかもしれません。
この記事は2020年12月掲載の記事を、加筆修正して再掲載しているものです。
参考文献
Hubble’s Messier Catalog
https://www.nasa.gov/content/goddard/hubble-s-messier-catalog
『宇宙創成 (新潮文庫)』
https://amzn.to/3JIVX7u
ウルトラマンのふるさと(三菱電機)
http://www.mitsubishielectric.co.jp/dspace/column/cw40.html
ライター
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。
編集者
ナゾロジー 編集部