F1アゼルバイジャンGPの決勝レースは、マクラーレンのオスカー・ピアストリが優勝。キャリア2勝目を挙げた。まさに一瞬の隙を活かした、値千金の勝利だった。
本来ならば今回のレース、勝つのはフェラーリのシャルル・ルクレールだったはずだ。アゼルバイジャンで4年連続(スプリントシュートアウトも入れれば5回連続)のポールポジション獲得から、遂に初めての勝利を掴むべく、周回を重ねているように見えた。レース中のラップタイム推移を見ても、それが如実に表れている。
■レースペースでは、ルクレールの方が上回っていたはず
このグラフは、F1アゼルバイジャンGP決勝レース中の、ルクレールとピアストリ、そして3番手を走っていたレッドブルのセルジオ・ペレスのラップタイム推移をグラフ化したものである。5周目頃までは、ピアストリはルクレールに食らいついていた。しかしピアストリは6周目から徐々に引き離され、8周目にルクレールがペース上げると一気に差が開いた(赤丸の部分)。ここで勝負あったかに見えた。
ピアストリは先にピットストップを終えたが、アンダーカットするのは不可能な差。チームメイトのランド・ノリスのサポートを受けてペレスの前でコースに戻ることはできたが、それが精一杯だったはずだ。
ただピアストリにとって、お互いピットストップを終えるとすぐ目の前にルクレールがいたことは、ある意味誤算だったのではなかろうか。ピットに入る前には6秒もの差があったはずなのに、1周早くピットに入ったとはいえ、ルクレールまで1秒以内のところまで迫ることができたのだ。
ルクレールはレース後、こんなことを語っている。
「ハードタイヤを履いてすぐは、マクラーレンと同じようなグリップを見つけることができなかった」
「あんまりアグレッシブにはなれなかった。タイヤがまだ冷えていたんだ。タイヤを温めるのに苦労したんだ」
ルクレールが言う通り、ピットストップを終えた直後のルクレールのペースは、ピットストップ前とは一転、ピアストリよりも遅かったのだ(グラフ青丸の部分)。
ピアストリはその隙を見逃さなかった。ルクレールのタイヤが温まり切らないその瞬間に、ターン1でオーバーテイク。かなり距離のあるところから強引にインに飛び込み、奪首を成功させた。ここで抜かなければ、ピアストリの勝機はなかった。
ピアストリも、レース後に次のように語っている。
「そこで行かなきゃ、そこで追い抜かなきゃいけなかった。スティントの初めで抜かなければ、(ルクレールを)抜くことは絶対にできないと分かっていたんだ」
ただルクレールとしては、一旦前に出られたとしても、その後いつでも抜けると思っていたらしい。事実、タイヤがしっかりと温まってからは、ルクレールの方がペースが速かったはずだ。
「タイヤが温まったら、再び追い抜くことができる。そこで抜かれたって、大したことはないと思っていた」
ルクレールは当時の心境について、そう振り返っている。
■ペースの上下がルクレールのタイヤを必要以上に傷つけた?
こちらのグラフは、第2スティントのピアストリとルクレールの差の推移を折れ線で示したものである。ルクレールはレース終盤までピアストリの真後ろにつけ、度々攻め立てた。
これを見ると、確かにルクレールの方がペースが優れていたように見える。ピアストリは、一向に引き離すことができなかったのだから。
しかしピアストリには武器があった。低ダウンフォース仕様のセッティングを採用したため、最高速が伸びていたのだ。そのため、比較的多めのダウンフォースをつけていたフェラーリとしては、なかなかピアストリを攻略できなかった。
グラフを見ると、ピアストリとルクレールの差がジグザグになっているのが分かるだろう。つまりルクレールは、ペースを上げ下げしていたわけだ。これは、最初のグラフのレースペース推移のグラフからも読み取ることができる。
これによりルクレールは、自らのタイヤを少しずつ痛めつけていたのだろう。「簡単に抜ける」と思っていたのになかなか抜けない……そういう焦りも、タイヤをマネジメントする集中力を削いだかもしれない。
いずれにしても、ルクレールがタイヤの発動に苦しんでいたほんの僅かな瞬間を突いた、ピアストリのファインプレーだったと言えるだろう。まだ2年目の若手ドライバー……昨年よりも確実に成長している。