ルイ・ヴィトン本社で17年勤めた私が、退職後にフランスで作家になった理由。

パリで作家として活躍する、藤原淳さん。パリジェンヌたちと20年以上過ごしてきた経験から、なぜ彼女たちが「ありのままの自分」を愛することが得意なのかを記した著書『パリジェンヌはすっぴんがお好き』(ダイヤモンド社)を出版しました。

作家になる以前は、約17年ルイ・ヴィトンパリ本社でPRのトップを務め、業界内外で「もっともパリジェンヌな日本人」と称されていた藤原淳さん。世界的企業で、順風満帆にキャリアを積んでいた彼女は、なぜ「作家」という未知のジャンルに転身したのでしょうか。その決断に、躊躇や迷いはなかったのでしょうか。

パリジェンヌらしく自分の気持ちを大切にしていった結果、「夢」にたどり着いた藤原さんの軌跡を伺いました。

「普通」に就職する同級生たち。自分の将来が不安だった

──まずは、藤原さんがフランスに渡った経緯を教えていただけますか。

渡仏するきっかけは、高校生までさかのぼります。3年生のときの選択授業で、なんとなく選んだフランス語の響きの美しさに魅了されてしまって。そこからフランスの文化や歴史も学び始め、「いつか絶対にパリに行くんだ!」と夢見るようになりました。

念願かなって、大学在学中に8カ月ほどフランスに留学。大学卒業後はパリの大学院に進学し、卒業後はフランスの日本大使館で文化広報を3年間担当。その後、ルイ・ヴィトンパリ本社に企業広報として転職し、約17年間勤めました。

──では、大学生までは日本にいたのですね。留学経験があるとはいえ、見知らぬ土地でキャリアを築いていったのはすごすぎます。

傍からはそう見えるかもしれませんね。でも、当時の私は「パリに行きたい」という思いしかありませんでした。あえて言えば、「大好きなフランス語で、物を書きたい」とは思っていたけど、当時の私からすると非現実的な夢過ぎて誰にも言えませんでした。

一方で、大学の同級生たちは着々と就職先を決めていって。焦って就職活動をしていた時期もあるんですよ。でも、本当にやりたいことは別にあるから、まったく身が入らなかった。フランスの大学院に行ったのは、そんな焦りや不安をごまかす側面もありました。「まだ勉強したいことがあるから」って理由でパリに行けば、格好がつくかな、って。

──不安を隠すための進学でもあったんですね。そこから、日本大使館やルイ・ヴィトンパリ本社に勤めることとなった経緯も教えていただけますか?

大学院を卒業してもパリに居続けるには、パリで就職しなければいけません。だから、そのときに募集していた求人にたまたま応募したというか(笑)。ただ、日本大使館でのお仕事には任期があったので、再び転職活動を行う中で、漠然と「業界世界一の企業に勤めたい」という思いが芽生えてきたんです。

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目の前の仕事に無我夢中で取り組んでいたら、見える世界が変わってきた

──なぜ、「世界一の企業」ではたらきたかったのでしょうか。

大学生のころは、日本で就職することを選ばなかったことで、「私って、はみ出しものなのかな」と落ち込んだこともありました。でも、フランスの大学院で、周りの意見をもろともせず、自分の夢に向かって突き進む人たちと出会って。私のいた大学院に限らず、パリでは何よりも「自分の気持ち」を大事にする文化があります。それぞれが自分の気持ちに従って前に進んでいくから、人の数だけ人生やキャリアがある。世界一の企業に行けば、さらに自分の「やりたい」に向かって野心的で、スケールの大きい人たちと出会えるかもしれないと思ったんです。

その中で、ご縁があったのがルイ・ヴィトンパリ本社でした。世界的なラグジュアリーブランドであることはもちろん知ってはいましたが、特別好きとか、詳しいわけはなかったです。「広報」という仕事自体も、最初はそこまで興味があるわけではなかったんですよ。日本大使館に務めていたときに広報をしていた関係で、広報として採用されただけ。

しかも、私は小まめに連絡を取るのが得意ではなく、人との関係づくりが大事な広報の仕事は“きつい”と思うことも多かった。その上、中途採用だから、入社初日から「広報のプロ」として扱われて、正直戸惑う場面も多かったですね。

「向いていない」「辛い」と思いながらも目の前のことを無我夢中でこなしているうちに、気付いたら17年が経っていました。「向いていないことを10年以上続けるなんて」と思う方もいるかもしれません。でも、続けていくうちにこの仕事の面白さも分かったし、何より「本当にやりたいこと」が見つかったのはうれしかったですね。