テレビ番組『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』の企画、「開かずの金庫」でもおなじみの鍵職人、玉置恭一さん。株式会社ダスキンの鍵の駆けつけサービスを行う、「ダスキン レスキュー」で後進の育成や、生活や防犯にまつわるセミナーなどを開催している、日本でも有数の著名な鍵職人です。
江戸時代の金庫、ダイナマイトでも壊れない強固な金庫、一億通り以上もあるダイヤルロックなど、どんな鍵も魔法のように開けてしまう玉置さんは、これまでどのように「鍵開け」の経験を積んでこられたのでしょうか?「この仕事は信頼がすべてです」と語る玉置さんに、これまでのユニークなキャリア、鍵職人としての矜持を伺いました。
入社直後の研修で「これ、天職やな」と気付く
──玉置さんが「鍵職人」という仕事に出会ったきっかけは?
高校卒業後はプレジャーボートの整備士としてはたらき始めたのですが、会社が2年で倒産してしまい、やむを得ず無職になりまして……。
その後、22歳の時に「鍵のサービススタッフ募集」という求人情報を見つけて応募したのが今の仕事との出会いです。鍵を開ける仕事ってなんだかおもしろそうやな、と興味を持ちまして。
──「おもしろそう」が入り口だったんですね。
そうですね。入社後、鍵職人は研修を受けて技術を習得していくのですが……正直、一緒に入社した同期と比べてもその時点で大きな差があったというか、圧倒的に「できるな」と思ったんです。玄関の鍵の開け方を教えてもらう。すぐできる。車の鍵の開け方を教えてもらう。すぐできる。といったことが積み重なり、「あ、これ天職やな」と気づきました。
──すごいですね。周りの方々には驚かれたんじゃないですか?
自分で言うのも恥ずかしいですが……「天才」と呼ばれていました(笑)。現場に出るようになってからも、同期が鍵を開けられない時によく助けに行っていたんです。僕が駆けつけると、「天才がきたのでもう大丈夫ですよ、お客さま」なんて言われたりして。
──新人のころから頭一つ飛び抜けていたんですね。入社前の想像通り、鍵開けの仕事はおもしろいものでしたか?
鍵を開ける作業そのものは楽しかったのですが、依頼の中には、「安否確認」と呼ばれる、連絡がとれなくなってしまった方のご自宅の鍵を開けてほしいというケースがあるんです。鍵を開けた結果、家主の方が亡くなっているということも多く、本当にショックでした。
ただ、仕事に就いてわずか1カ月でそういった現場に立ち会ったことで「人はいつか絶対に死ぬんやから、もっと必死に生きなあかん」と覚悟を決められました。
その後も24年間鍵開け一筋でやってこられたのは、やはり仕事が楽しかったからでしょうね。楽しみながら技術を身につけてきた結果、良い方向に流されてきた。運が良かったのだと思います。
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鍵を開けるポイントは「見えない動きをイメージできるかどうか」
──そもそも、鍵開けはどのように行っているんですか?
専用の工具を鍵穴に入れて動かしていくのですが、当然、中の部品の動きは目視できません。構造をあらかじめ理解した上で「この部品を触ったことでここが動いたから、次はここに触ればいいんだな」と、見えないところでの機械の動きを想像しているんです。
また、金庫によく使われるダイヤル錠は0から99までの目盛りが振ってあることが一般的です。まず、ダイヤルを動かしながら手応えの違う数字を見つけ、それを手がかりに数値計測を重ねて、数字の組み合わせの候補を絞り込んでいきます。100万通り、中には1億通り以上もある組み合わせから答えを探していく作業は、パズルの感覚に近いかもしれません。
──基礎的な知識や手先の器用さに加え、わずかな違和感を見落とさない観察力や計算力なども必要なんですね。
スキルに加え、経験値も重要です。テレビの企画でよく開けている「開かずの金庫」の多くは明治・大正時代に造られたものなので、そもそも開け方のマニュアルが存在しない。僕はそういった古い金庫をこれまでに200個ほど開けてきたので、専用の道具を作るなどして、どんなケースにも対応できるよう準備をしています。開ければ開けるほど技術力と経験値が蓄積されていくのはこの仕事のおもしろいところですね。