以前、このコラム030にて、「音楽リスニングに大事なのは、お作法だと思うのです」という原稿をアップした。音楽を聴くという行為は脳の知覚現象なのだから、音楽を存分に楽しみたいのなら脳みそを健全に働かせることが大事なんじゃないかな?という話だった。
あれから色々考えていると妄想も加速し放題で、色んな思いが頭を駆け巡る。そこでひらめいたかのように確信を持ったポイントがひとつ。動体視力ならぬ動体聴力をどう鍛えるかというもの。そんな言葉はないけれど、ニュアンスはそれ。正確に言うならば、時間軸における音変化をどれだけ感度良く感じ取れるかというところで、これは音楽家のみならず、単にオーディエンスの我々も追求できるところなのかなと思っている。
言い換えれば「時間をどれだけ遅くできるか」という感覚。「あー、またこいつキモいこと言い始めた」と思われそうだけど、これは感覚の問題なので時間は遅くできる。遅く感じればいいだけだから。要は集中しているということなんだろう。もちろん自分の体調やメンタルに左右されるけど、このコンディションを持ち得た時には、音楽からこれまでとはまた違った情報が得られる。解像度が上がったというか色彩がビビッドになったというか、情報量が増えたことで新たな気付きに出会うことができて、感動のポイントがまたひとつ増えるという感触だ。
この感覚に至った経緯と根拠に触れると以下のとおり。
2次元の世界はいわば厚みのない紙の上の世界だから、そこに猫の絵が書かれていても、猫の絵だと認識できない。上から見ることができないからね。猫の絵だと分かるのは、我々が3次元で2次元を一望できるからなわけです。2次元の世界にいる人には、猫の絵が書かれたある部分、例えば・・・ーーー・・・(はいよろこんで)と見えるだけ。
てことは、我々が普段3次元を認識しているということは、実は4次元で生きているんじゃね?という話がある。理屈としてはそうでしょ?不思議よね。
でもそれは違う。我々が見ているものは網膜に写った2次元の平面な世界。視覚というのは2次元です。眼の前にある光の情報を写真に撮るように平面で捉え、それを2つのカメラ(網膜)を使うことで立体のように脳が構築しているだけ。2次元で捉えた情報を、あたかも3次元かのように認知してるだけ。都合いいように認知しているので、その隙を突かれると錯視のような錯覚が起こる。要するに、本当の3次元の様子は我々は本質的に理解できない。しつこいけれど3次元を認知するには4次元が必要なのです。
でもね、2次元の人たちは猫を認識しているはず。時間軸とともに移動して情報をトレースし記憶し、それらの線(・・・ーーー・・・ → ・・ーー・・・・ー → …)情報を脳で再構成すれば「ああ、○○cmの大きさで猫が描かれているな」と認知できる。当然時間という概念が出てくるけれど。
我々の世界も、時間軸に沿って周りを見渡すことで2次元情報をぐるっとスキャンし、それをあたかも3次元かのように構成することで、3次元で生活しているように意識している。その世界が破綻しないように記憶という機能でその情報をゆるく保持する。キャッシュメモリのようなものだ。でもいちいち脳が生成している世界なので、注意が届いていないところはあやふやにしか認識できていないし、集中したところしか解像度が上がらない。カクテルパーティー効果が生まれるのなんて、いわば当然というわけだ。
で、音楽はどうなっているの?と考えると、音楽は可聴域の20~20kHzが時間軸に沿って、いろんな周波数で振幅が増加しようとしていたり減衰しようとしていたりを繰り返しているものだから、一瞬の周波数特性の時間における変化幅を脳みそというRAM(Random Access Memory)で処理しながら、適宜フラッシュメモリに書き込みつつ再構成しているということになる。それを音楽として理解しているわけだ。…と勝手に結論付けた。正しい考え方なのかはわからない。
でもね、そう捉えて脳内RAMをビュンビュン走らせるような感覚で音楽を聞くと、今まで気にしなかったような事に気付けたりするから不思議。注意が行き届いている帯域はとても解像度高く、行き届いていないところはゆる~く認識してしまうわけで、ベースに集中すれば低域の様子が、ドラムプレイに注意を払えばそこの微細なニュアンスも聞こえてくる。そのあたりは楽器経験者なら経験済みだ。その感覚を全域に拡張する。逆にゆるーい心持ちで接すれば単なるBGMとなり、音楽はゆる~く心を満たす。
長文のくせに全て戯言なので話半分以下で流してもらえればいいのだけど、でも意識を変えると聴こえ方が変わるのは実感できた出来事だったので、誰だって何かのきっかけひとつで音楽との距離感が変わったり、もっと音楽が愛おしくなったりするんじゃないかなと思ったりもします。人生を変えた音楽との出会いの瞬間とか、へこんだメンタルを支えてくれた音楽の力を感じたポイントこそ、そういう力が働いた瞬間だったんじゃないかなとも思ったりするんですよね。
文◎BARKS 烏丸哲也