第53回:ティム・バートンが米ハリウッド殿堂入りを果たしウォーク・オブ・フェイムに名を刻んだ !  新作『ビートルジュース ビートルジュース』の話題

ヒートドーム現象の影響で猛暑が続いた9月初旬のロサンゼルス。エアコンの効いた映画館に大勢の観客が押し寄せ、公開初週末興行収入1位にランクインしたのが、ティム・バートン監督の新作『ビートルジュース ビートルジュース』。米興収1億1000万ドル(日本円で約156億5000万円)という記録を残し、公開2週目もトップをキープ。第81回ヴェネチア国際映画祭のオープニングでワールドプレミア後、公開前9月3日(ロサンゼルス現地時間)、ティム・バートン監督がハリウッドの殿堂入りを果たし、ウォーク・オブ・フェイムに名を刻んだ。

36年前の『ビートルジュース』(1988)主演でスター俳優のマイケル・キートンとウィノナ・ライダーなどが監督のサポートで出席。公開当時17歳だった女優ウィノナ・ライダーは『私のような変わり者にチャンスを与えてくれた監督に心から感謝します。ー中略ー 監督の映画によって、私もふくめた堅物たちがどれだけ勇気をあたえられたか計り知れません。』とコメント。80年代から共に歩んだ愛情いっぱいのチームワークに、集まったファンから温かい声援が贈られていた。


著者撮影


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意外と知られていない『ビートルジュース』誕生物語

80年代ハリウッド。時代は『ポルターガイスト』(1982)に『ゴーストバスターズ』(1984)と、超常現象を扱った映画が大成功。ホラー小説家マイケル・マクダウェル(スティーヴン・キング一家とも友人関係にあった)も、TVの脚本を描きながら、映画の世界に参入しようとオリジナル脚本のアイディアを練っていた。当時、マクダウェルが隣に引っ越してきた一家の素行に頭を悩ませ、その揉め事をきっかけに思いついたのが『ビートルジュース』。


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人間を怯えさせる悪霊が多々描かれてきたホラー映画のアイディアを逆転させ、卑劣な人間が霊となった夫婦の平穏を翻弄するというコンセプトで脚本を書き、のちに『アダムス・ファミリー』(1991) の脚本家となるラリー・ウィルソンほかと共同執筆している。マクダウェルは西洋の死後の世界の考え方とは違った日本や中国のオカルト映画からもインスピレーションを受け、「霊は常に生活の中に存在する」という考え方で脚本をコミカルに構成した。

今までに例のない低予算ホラー・コメディ映画は当時のパペット技術を駆使し、ティム・バートンの斬新でユニークなビジョンによって完成。ヒットするかは誰も予測できなかったそうだ。物語のノーマル対パラノーマルの設定は愉快に描かれる。主人公のリディア(ウィノナ・ライダー)は内向的で扱いにくい高校生。現世では煙たがられても、死後のパラノーマル世界の幽霊達には受け入れられて、ビートルジュースと対等に向き合って躍動的になっていくところなど、その対比はおもしろい。『ビートルジュース』大ヒットのあと、マクダウェルは『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993)の脚本も書きはじめ(原案はバートン監督の詩)たが、途中、エイズ関連の病気で闘病し49歳でこの世を去っている。

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哀愁漂うバートンワールドのキャラクターたち

これまでのティム・バートン映画をふりかえると、ドイツ表現主義のデザインや映画に影響された作品や、米特撮映画監督レイ・ハリーハウゼン、初期のストップモーション・アニメーションの刺激を得た作品が多い。ジョニー・デップ主演『シザーハンズ』(1990)、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』など、そのダークで粋なゴシック調の世界観はドイツ映画『カリガリ博士』(1919)や『メトロポリス』(1926)などのドラマチックに歪んだ背景やダークな照明などを思い起こさせる。

とくに、木々や動物などが擬人化され、独特の個性をもったスピリットがバートンワールドの特徴でもある。そもそも、ティム・バートン監督の少年時代は暗かったという。ベースボールプレイヤーだった父が息子も野球選手にしたかったが、バートン少年は親の期待にそえず、居場所のない幼少時代を送っていたのだそうだ。そんなティム・バートンが夢中になったのが、『フランケンシュタイン』(1931)などのクラシックなモノクロホラー映画。主人公たちが人と違うだけで恐ろしい人間と勘違いされて攻撃されることに、衝撃を受ける。さらには、絵を描くことに才能を発揮しながらも、世の中で求められていた『バンビ』(1942)や『ピーターパン』(1924)の様なカラフルなディズニー映画のテイストをティム・バートンは好まず、アニメーションではなく、伝統的な絵画を学ぶうちに規格に当てはまらない自らのスタイルを確立。

落書きのようにぐるぐる包帯を巻かれたマミー(ミイラ)・ボーイや、 製作・原案・キャラクター創造(デザイン)を担当した『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のジャックにいたるまでの彼のメランコリーな主人公たちは、たまらなく哀愁にあふれている。

短編映画『ヴィンセント』(1982)や『フランケンウィニー』(1984)(2012年の長編アニメと同名)を監督したあと、『ピーウィーの大冒険』(1985) で長編映画デビュー。低予算で作った『ビートルジュース』の大成功から、一躍、スタジオ大作『バットマン』(1989) 、『バットマン リターンズ』(1992) とハリウッドを代表する監督となっていく。また、当時はほぼ無名で、売れないコメディアンだったマイケル・キートンが『ビートルジュース』を機に、コメディだけでなくあらゆる役に抜擢されるようになる。その後時代を経て、クリストファー・ノーラン監督のバットマン三部作も最高な作品だが、口が裂けたジャック・ニコルソンのジョーカー(『バットマン』)や、鼻の大きなダニー・デビートの怪人ペンギン( 『バットマン リターンズ』 )など、ティム・バートン監督が蘇らせたDCコミックスのキャラクターもまた映画史上に残る怪物たちである。