自身を取り巻く環境は、ライフステージの変化によって大きく変わることがある。しかし、女性の場合は“自分”だけではない。結婚や出産、はたまた夫の転勤など、生活が突如一変してしまうことが多々ある。近年、女性の社会復帰への理解が改善されてきているとはいえ、まだまだ厳しい日本。今回は、そんな日本で38歳のときに社会復帰したいと思った遠野アキさん(仮名、50代)の経験談を紹介する。彼女の経験談から、仕事と育児を両立するヒントを探りたい。(前後編の前編)
「早くアメリカに留学したい」
九州出身の遠野アキさん(仮名、50代)は、ビジネスコンサルタントの父親、元公務員で専業主婦の母親のもとに、2人姉弟の長女として生まれた。
しっかり者の母親は、毎日美味しいケーキを焼いて、遠野さんと弟が学校から帰ってくるのを待っていてくれた。
ヌーヴェル・ヴァーグの映画やビートルズが好きな父親の影響を受け、遠野さんは幼い頃から洋画ばかりを観て、洋楽ばかり聞いて育った。小学生の頃から「早くアメリカに留学したい」と口にしていたが、両親はなかなか許してくれなかった。
遠野さんは高校生になると、交換留学生の奨学金テストを受けるため、両親を説得。見事合格を果たし、高校3年生の時に念願のアメリカ留学の夢を叶えた。
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「一緒に帰国して結婚してほしい」サンフランシスコでのプロポーズ
1年間の交換留学中、遠野さんはホストファミリーや高校のサポートを受け、サンフランシスコの大学に合格。卒業後はそのまま現地で就職した。
社会人になって3年ほど経った頃、4歳年下の日本人男性と知り合い、意気投合。友だち付き合いが始まる。
やがて留学中の彼は、外資系日本企業での就職が決まり、半年後に帰国するという。
「一緒に日本に帰ろう」
そう言った彼に、すでに労働ビザを取得して働いていた遠野さんは「ボーイフレンドのためにビザを捨ててまで帰国はできない」と返答。すると彼から、「一生、君が働かなくてもいいように責任を持つから、一緒に帰国して結婚してほしい。君は仕事をしてもいいし、しなくてもいい。ただ幸せに笑って暮らしてほしい」とプロポーズされたのだった。
「まだ21歳なのに、なんて男らしいんだろうと感心しました。それと同時に、彼の就職先が大手外資系であること、私と同じで、高校から留学経験があり性格もぴったりだったので、2人で歩む未来に期待をしてしまいました。マイノリティ女性としてアメリカで働くのは苦労が多かったので、『この機会を逃したら、ずっと日本に帰れないかも』という郷愁の気持ちもあったんです」
遠野さんはプロポーズを受け入れ、帰国後に結婚。都内で暮らし始めた。