「へー! 世界中であんただけが大変な母親なんだ?」子育てに非協力的で、資格取得にも理解のない夫…社会復帰を目指し子育てに奮闘した50代女性の苦悩

「サンフランシスコに転勤願いを出したい」

結婚後、遠野さんは日本での就職活動を開始。約3か月後には、外資系消費財メーカーのマーケティング部に就職が決まる。

サンフランシスコにいた頃よりも収入が増え、DINKs(※“Double Income No Kids”または“Dual Income No Kids”といわれる、自らの意思で子どもを持たないと決め、共働きをしている夫婦のことを指す略語)で何不自由なく暮らしていた遠野さん夫婦だったが、3年ほど経った頃、突然夫から「サンフランシスコのポストが空いたので、転勤願いを出したい」と告げられる。

「アメリカの会社で働いてきた私は、『仕事は数年ごとに転職してキャリアアップしていくものだ』と思っていました。夫も『アメリカでは転職が当たり前』で、むしろ『同じ会社で5年働いていることのほうがネガティブに捉えられる』ことは知っていたので、私が彼についていくために、私が会社を辞めなければいけないことを、少しも心配している様子はありませんでした」

遠野さん夫婦はサンフランシスコに移住した。ところが、サンフランシスコでの暮らしは、以前のようにはいかなかった。

「サンフランシスコに転勤といっても、ポストが空いただけで、会社からの指示で異動する、いわゆる駐在員ではありません。引越し代は会社が出してくれましたが、家賃は自分たちで払わなければいけませんでした」

当時のサンフランシスコは物価が高騰し始めており、家賃は東京の約2倍。就職競争も以前より激化しており、遠野さんはなかなか満足いく就職ができず苦戦。夫1人の収入でギリギリの生活を強いられる中、ようやく内容的にも収入的にも納得いく、大手日系企業のマーケティングマネージャーの職が得られたのは、移住から約9か月後のことだった。

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夫婦の次のレベル

仕事も決まり、遠野さんはサンフランシスコ生活を満喫していた。だが一方で、夫婦仲は険悪になっていた。

「サンフランシスコでの仕事のストレスは、夫も私もかなり高くなっていました。就職した会社の私のチームでMBAを取得していないのは私だけ。ハイレベルな同僚と切磋琢磨するのに精神的に疲れていました。しかしサンフランシスコでは、無駄な残業はありません。私は仕事の後、大好きなジャズクラブに通い、東京で暮らしていた頃よりも生活は苦しかったものの、充実していました。しかし夫は、激しい成績競争に疲弊し、性格がとげとげしくなり、よくケンカをするようになっていました」

そんな関係の変化に悩んだ遠野さんは、「もしかしたら夫婦として次のレベルにいく時期なのかも」と思い、夫に子どもを持つことを相談。話し合って避妊をやめると、まもなく妊娠した。