最初の言葉は「ありがとう」


脳の歌を使って文字を選ぶ / Credit:wyss Center . Completely locked-in man uses brain-computer interface to communicate

脳の歌声を言葉に変換する。

研究者たちは目的を実現させるため音の組み合わせでアルファベットの文字を指定できるようにシステムを改良しました。

するとジョンは1分間に1文字というペースながらも、文字を選択できるようになりました。

そして最初につづった単語は、研究チームのリーダーであるNiels Birbaumer氏に対しての「ありがとう」でした。

続いてジョンは「頭のマッサージをしてほしい」「ロックバンド(ツール)のアルバムを聴きたい」などの要望を伝えることができました。


お父さんの声が聞こえるかもしれない / Credit:wyss Center . Completely locked-in man uses brain-computer interface to communicate

251日目には、ジョンは息子に対して「I love my cool son.(息子を愛している)」と伝え、「一緒にディズニーの映画が見たい」と頼みました。

462日目には「新しいベッドが欲しい」「みんなとバーベキューに行きたい」などの気持ちを述べました。

またジョンの妹がお見舞いに来た時には「Thank you for everything, sister(妹よ、いつもありがとう)」と述べています。

しかし残念なことに、ジョンが言葉を綴れる時間は長くはありませんでした。

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失われていく自発的思考


倫理を維持しながら実験を続ける必要がある / Credit:Canva . ナゾロジー編集部

ジョンは脳に刺し込まれた合計128本の電極により、さまざまな意思を伝えてきました。

しかしALS患者に対して脳に刺し込んだ電極を介して意思疎通するという試みは世界ではじめてであり、技術は完ぺきではありませんでした。

YES・NOなどを示す音階を明白に意思表示できたのは全実験過程135日のうちの107日(8割)のみでした。

また音階を合わせられる調子のいい日であっても、わかりやすい文章を作れた日は107日のうちわずか44日でした。

さらにジョンの単語を作成する能力は低下してきており、現在はほぼYES・NOを答えるのみになっています。

ジョンの言葉が途絶えた原因として研究者たちは電極が刺さっている脳部位が瘢痕(傷跡)化しており、神経信号が微弱になっていることをあげています。

脳に電極を打ち込む実験にとって瘢痕化は最大の問題の1つであり、現状では避ける手段は限られています。

またもう1つの原因として、ジョンの精神状態に変化が起きている可能性もあげられました。

人間の思考には「自発的な目的を示す思考」と「判断のみを行う反射的な思考」が存在します。

精神が脳の中に閉じ込められ、限られた手段でしか意図を伝えられない場合、目的を持った自発的な思考のほとんどは実現しません。

「〇〇を食べたい、〇〇へ行きたい、〇〇に会いたい、〇〇を見たい」と思っても何もできないとなると、人間は自発的な思考を放棄して反応だけを行うようになってしまうと考えられています。

ジョンの自発的な思考を取り戻すには電極の位置の再調整や精度の向上により、ジョンの意思を実現できる環境作りなど、より大規模な対応が必要となるでしょう。

そのためには、より多くの被験者たちの協力と実験データの収集が必要になります。

研究者たちは、脳に閉じ込められた人との意思疎通を続けていくことで、本人や家族にとって最善の道を探していきたいと語っています。

※この記事は2022年3月公開のものを再掲載しています。

参考文献

Brain-computer interface helps patient with locked-in syndrome communicate
https://www.livescience.com/brain-computer-interface-als-communicate

元論文

Spelling interface using intracortical signals in a completely locked-in patient enabled via auditory neurofeedback training
https://www.nature.com/articles/s41467-022-28859-8

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。