自民党の衆院議員だった河井克行が妻・案里の参院選出馬に際し、広島の議員らに現金を自ら配って回った前代未聞の買収事件。その額は100人で計2871万円にのぼる。なぜ、この事件は起きたのか。広島の地元紙である中国新聞は、取材を続けるうちに買収の資金源とも目される自民党の巨額「裏金」問題にたどり着いた。
衝撃のメモの発見から総力をあげての取材に至るまでの様子を、中国新聞「決別 金権政治」取材班が書いたノンフィクション『ばらまき 選挙と裏金』から抜粋・再構成してお届けする。
衝撃の検察押収メモ
東京地検特捜部の検事による取り調べを録音したデータが明るみに出て以降も、広島地裁では現金受領議員らの公判が粛々と続いていた。そんな中、中国新聞が追い続けていた問題の突破口が見え始めていた。
安倍政権中枢の裏金が買収の原資になった疑いがある─。
かねて取材班は、関係者から確たる情報を得て、その疑惑を報じてきた。しかし、誰がいくらを提供したのか。具体的な情報まではつかめていなかった。
裏金は参院選当時に案里陣営に肩入れした政権の闇そのものだった。しかも、仮に政権幹部が買収資金に使われることを知って提供した場合、その幹部も共謀相手として買収罪に問われかねない。政権の重大な疑義だった。
取材班のメンバーは各部署に散らばって以降も、事件の真相に迫ろうと、数多くの関係者に当たり続けた。しかし、どの関係者も口が堅く、断片的な情報しか集まらなかった。「5年後、10年後でもいい。いつか紙面に刻もう」。最年長の荒木紀貴は自らに言い聞かせるように、記者に発破をかけていた。
その埋もれた特ダネを急転直下、つかめたのが2023年秋のことだった。一連の買収疑惑が浮上してからは4年近くが経過していた。
中国新聞がつかんだのは、安倍晋三をはじめとする当時の安倍政権の幹部4人が主犯の克行に現金6700万円の裏金を提供したという疑惑だった。証拠となる手書きメモがあるという。
関係者によると、メモはA4判。検察当局が20年1月に広島市安佐南区の克行宅を家宅捜索した際に押収していた。
上半分に「第3 7500万円」「第7 7500万円」と書かれ、それぞれ入金された時期が記入されていた。自民党本部が参院選前の19年4~6月に克行の自民党広島県第三選挙区支部と案里の党広島県参院選挙区第七支部に振り込んだ各7500万円を示すとみられる。当初、買収の原資になったと疑われた1億5000万円のことだ。
「第3 7500万円」「第7 7500万円」と書かれた下には、「+現金6700」と書かれ、さらにその下に「総理2800 すがっち500 幹事長3300 甘利100」と記されていた。いずれも手書きで、克行とみられる筆跡だった。
「総理」は総理大臣の安倍、「すがっち」は官房長官の菅義偉、「幹事長」は自民党幹事長の二階俊博、「甘利」は自民党選挙対策委員長の甘利明=いずれも肩書は当時=を指すと検察は分析していた。数字は提供した金額を万円単位で示しているとみられる。
このメモが示しているのは、自民党本部が河井夫妻の党支部に振り込んだ1億5000万円とは別に、安倍政権の幹部4人から計6700万円の裏金が現金で克行に提供されていたという疑惑だった。
安倍政権は既に退陣していたとはいえ、自民党を揺るがす「大スクープ」になりうるネタだった。
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確かな筋から得た情報であり、間違っていない
取材班がどこからそのメモの存在を知り得たか。それを明らかにすることは絶対にできない。どの記者がつかんだのかさえ言うことはできない。記者には取材源を守る義務があるからだ。
しかし、これだけなら言える。確かな筋から得た情報であり、間違っていない、と。「安倍さんから」「二階さんから」と言って現金を配り歩いていた河井夫妻。菅、甘利も参院選で案里を支援しており、全てが符合していた。手が震えるほどの衝撃を感じていた取材班の誰もが、その真実性に確信を持っていた。
「このネタはあまりに大きい」。この疑惑の幹部にどう取材するのか。どう紙面に刻んでいくのか。取材班は目の前に持ち上がった大きなヤマに、はやる気持ちを抑えつつ、何度も会議を重ねた。
こうした特ダネを扱う時、たとえ絶対に間違っていない事実だとしても、その反響の大きさを想像すると、時として尻込みしてしまうことがある。ひるまず覚悟を持って、書く勇気が問われる局面だった。
関係者に当たり続ける各記者の取りまとめ役を担ってきた荒木に迷いはなかった。ただ、編集局幹部の賛同を得ないことには勝負はできない。
まずは、編集局の最大の記者集団である報道センター社会担当を束ねる社会担当部長の城戸収(50歳)に相談した。政治・行政取材の経験が豊富で東京支社時代には安倍政権の取材を担った経験もある。
ネタの内容を告げると、「最速でいこう。応援の記者はいくらでも出す」と言った。編集局次長の木ノ元陽子(52歳)も「すごいネタじゃーん。いこう」と賛同してくれた。
最終関門は編集局長の高本孝(61歳)だった。この日は退社していたので、翌日に相談することにした。その間、時間があったせいか、荒木は「もしゴーサインが出なかったらどうしようか」とも考えた。これまでの各記者の努力はもちろん、ネタが持つ公共性を考えると、取材班のまとめ役である自分が進退を賭けてでも紙面に出さないといけないとも気負っていた。
翌日、高本にネタの内容を説明し、判断を仰いだ。荒木の心配は取り越し苦労だった。高本はその場で即決した。「これは世に出さないといけないネタ。いこう」。いつも通りの穏やかな口調だったが、明確な言葉で背中を押してくれた。