船木誠勝は9・26後楽園大会でレジェンド王者・村上和成に挑戦する。両者は2006年2月、ビッグマウスラウドのリングで一騎打ちを行う予定だったが、船木が同団体のスーパーバイザーを務めていた前田日明とともに離脱したため消滅。18年越しの対決がストロングスタイルの頂点ベルトをかけて実現する。勝てば2017年9月に第12代王者から陥落以来、7年ぶり3度目の戴冠となる船木は「ストロングスタイルとはなんなのか、それをしっかり見せて、自分がベルトを獲りたい」と意気込んでいる。ストロングスタイル提供の船木インタビューは以下の通り。
【船木誠勝インタビュー】
――いまから18年前、ビッグマウスラウド時代の因縁を清算する意味を込めて、村上和成選手から送られた対戦要求に船木さんが応える形で9・26後楽園ホール大会でのレジェンド選手権試合が正式決定しました。
▼船木「2000年の引退から5年後、2005年に前田(日明)さんと再会したんです。当時、前田さんがスーパーバイザーを務めていた団体がビッグマウスラウドで、自分に復帰してもらえないかと。ただ、最初言っていたのがマスクマンとしての復帰だったんです」
――マスクマン…!
▼船木「はい、映画とのコラボみたいな形で。ただ、自分にとっては引退して5年を経ての復帰になるので、大事にしたいというか、ちょっと(マスクマンでの復帰は)無理だなと。その頃はまだ復帰する気もなかったですし。エキシビションマッチでいいからライガーさんとやってもらえませんか?というオファーも断っていたぐらいなので」
――そんな話もあったんですね。
▼船木「当時は船木が復帰するみたいな記事が1年に1回ぐらいは出てたんですよ。それが2004年ぐらいになると、そういう記事ももう出なくなって、ちょっと寂しいなという気持ちもどこかにあって。そんな時に前田さんと再会したんですよね。マスクマンの話は一度断りはしたんですが、その1週間後ぐらいにまた前田さんに呼ばれて、『UWFをもう1回やろうと思う。お前も協力してくれないか』と。当時、前田さんはHERO‘S(K-1のMMAイベント)のスーパーバイザーもやっていたので、そこの選手も加えて、UWFの続きみたいなことをできないかと考えていたようで。それで『そっちだったらどうだ?』と言われたので『1週間、考える時間ください』と。その期間に、UWFの昔のビデオを見たりして、この続きであればいいなと。それで前田さんに『やります』と答えたのがキッカケだったんです」
――そういう経緯があったんですね。
▼船木「ビックマウスラウドを軸に、1年に4回ぐらいスーパーUWFをやってみようと。そんな話が進んでいたなかでの、2006年2月26日、徳島大会で自分の復帰戦として、村上選手とやりましょうと」
――水面下で決定したと。
▼船木「はい。じつは復帰第2戦は後楽園で天龍さんが相手をしてくれるっていう話まで決まってました」
――そこまで決まっていたんですか。
▼船木「ただ前田さんとビッグマウスラウドのフロント、(元新日本プロレス取締役の)上井(文彦)さんが決裂してしまい、自分も前田さんと一緒に(ビッグマウスラウドを)離れることになってしまって、村上選手、当時は村上社長を一人残したまんまになってしまったことが自分の心残りでした」
――その後、村上さんも上井さんと決別、孤軍奮闘する形になりました。
▼船木「当時から(ビッグマウスラウドが)大変なことになってますっていう話を聞くたびに、ちょっと悪いな、申し訳ないなという気持ちがずっとありました。悔しさと、申し訳なさ。当時は毎日のようにビッグマウスラウドの事務所に行って、復帰のことやその後も話をしてましたから、村上社長と。5年業界を離れていた自分にとって、業界の話をするというのが楽しくて、生き返ったような気持ちになっていた矢先だったので」
――運命の徳島大会から18年の時を経て、村上選手のほうから対戦を望まれましたが?
▼船木「きたなと。嬉しかったですね。やっぱり残った者のほうがつらいんですよ。去った人間はそこからまた新しい生活が始まりますけど、残った者はあと処理じゃないですけども、やっていかなきゃいけない。それもたった1人でやってた時の苦しさは想像がつかないぐらいなので。楽しかったのは、社長やりますと言って始めた数カ月だけだったと思いますよ」
――プロレス団体はあくまで営利組織。金銭的な問題も付きまとったと思います。
▼船木「それが1番大きかったですよ。だから相当苦しかっただろうと思いますね」
――そこを乗り越えた、いま現在の村上和成には人間的な強さもあるのでは?
▼船木「それはあると思いますね。人間って、肉体的なツラさより、精神的なツラさの方がこたえるんですよ。ただ、それを乗り越えた時、それまで以上の強さを得られるので。相当強いと思います、いまの村上選手は。プロレスラー、格闘家以前の村上和成という人間ですよね。そこに自分というスタイルをぶつけていきたいなと思ってます。(村上には)その時の苦しみとかすべてをぶつけてもらいたいですし、そのうえで思いきりやり合いたいなと思います」
――どんな試合になると思いますか?
▼船木「わからないですね。わかんないからこそ面白いと思います。そして、わからないからこそ“格闘”になると思います」
――格闘。
▼船木「ストロングスタイルそのものと言いますか。いつもと違う村上和成も出てくるんじゃないかなと思いますね」
――平成のテロリストと言われる顔だけじゃないと。
▼船木「はい、それにタイトルマッチっていうところも良かったなと思いますし」
――どういうことですか?
▼船木「ただシングルマッチじゃなくて、その先にストロングスタイルのタイトルがある。自分も(ベルトを戴冠したら)6年、7年ぶりぐらいになると思うので。来年、デビュー40周年になりますし、ここでベルトを取れたらもう1回メインに上がっていけるかなと。近年(ストロングスタイルは)間下選手とスーパー・タイガーがいて、彼らがトップを張ってましたけど、佐山さんの気持ちがしっかりしてるうちに、もう1回メインで、表舞台でやりたいなと。それを見せる意味でも、自分はやっぱりシングルマッチが一番しっくりくるので」
――レジェンド王座奪取となれば2017年9月以来、7年ぶりになります。
▼船木「だいぶ時間が経ったなと思います。やるからには、もう1回。ストロングスタイルの中でも、自分はストロングスタイルだと思ってますので」
――ストロングスタイル・オブ・ストロングスタイルだと。
▼船木「もう1回返り咲きたいなっていう気持ちはありますね。先日(8月29日)おこなわれた記者会見の時、スーパー・タイガーがストロングスタイルプロレスのストロングスタイルと新日本プロレスのストロングスタイルはどう違うのか?という質問をされていたじゃないですか。自分はもうまったく別物だと思うので。ストロングスタイルプロレスの闘いは佐山さん、その先にやっぱり(アントニオ)猪木さんがいると思うんです」
――10月で三回忌を迎える燃える闘魂、アントニオ猪木さんが。
▼船木「ギリギリ自分は猪木さんを体感してる世代なので。自分らがいなくなったら完全に消えるのかなと思いますけど、自分はまだいますから。まだ消えないぞという気持ちはありますね」
――それぐらいアントニオ猪木さん、新日本プロレスの存在は大きいと?
▼船木「自分にとっては最初の入り口ですから、新日本は。猪木さんの新日本プロレス。自分のなかに、それ以外ないんですよ。それは佐山さんも多分そうだと思うので。佐山さんのなかにも猪木さんのプロレスしかないと思うので」
――このタイミングで村上さんから対戦要求があり、舞台は佐山さんのリング、ストロングスタイルプロレス。猪木さんの三回忌があって、船木さんは来年40周年。いろんなタイミングが重なったのもめぐり合わせなのかもしれません。
▼船木「ホントにそうですね。だからこそ何がストロングスタイルなんだっていうのを自分自身も感じながら、村上選手と戦いたい。戦う意味、戦いとは何なのか。当たり前のことなんですけど、ちゃんと戦うことが重要な一戦になるのかなと。ストロングスタイルとはなんなのか、それをしっかり見せて、自分がベルトを獲りたいと思います」