〈自民党選挙裏金疑惑〉「陣中見舞いだったと思う」自民党・甘利氏が河井夫妻への100万円の“裏金”提供を認めた! 裏付けられた“河井メモ”の信ぴょう性

甘利はうそをつく人ではない

「中国新聞の河野です」。名刺を差し出すと、甘利は立ち止まり、片手で受け取ってくれた。いつものやや不機嫌そうな表情だった。「河井克行、案里夫妻の買収事件のことで伺いたい」。そう伝えると、甘利は「うん」とうなずき、こちらの質問に応じてくれた。

――事件で新たに河井克行氏のメモが押収されていることを知っていますか。

「そうなの?さあ」

――「甘利100」と書かれていたそうです。参院選で河井氏に100万円を提供しましたか。

「うん」

――それは選挙対策委員長として?

「うん。選挙対策委員長として。陣中見舞いだったと思う」

――ほかの候補にも一律に100万円を提供したのですか。

「うん。ほかにも一律に持って行っていると思う」

――それは党の政策活動費ですか。

「政策活動費?どうだったかな」

――党からのお金ですか。

「党からのお金」

――それは政治資金収支報告書に記載しなくていいのですか。

「うーん。どうなのかなあ」

――メモには「総理2800 すがっち500 幹事長3300」とも書かれています。そういうお金が提供されたことをご存じですか。

「そうなの。うーん」

こう話すと、甘利はそそくさと去って行った。100万円を提供したことをあっさりと認めたのだった。この時、甘利が100万円の提供を認めたことへの興奮は河野にはほとんどなかった。認めるにしろ、否定するにしろ、現場の記者は淡々と取材して、メモを上げて記事を書くだけだ。ハードルの高い直接取材が1つこなせたことでほっとした気持ちだった。

7人の取材班メンバーは、各所で進む取材の情報を共有するためのチャットを開設していた。河野はすぐに甘利の取材結果を書き込んだ。「甘利さん、100万円提供を認めました」。そして、国会記者会館の会議室へ戻った。

河野は東京支社時代の取材経験から、甘利はうそをつく人ではないと思っていた。知っていることは話すが、知らないことは知らないとはっきり言うタイプの政治家だ。ただ受け答えであいまいだったところもある。100万円の原資が政策活動費かどうかという質問には、首をひねりながら「どうだったかな」と答えた。

あの表情から、ごまかそうとしているとは感じなかった。党の選対委員長として地方へ応援に入る際に、党本部から渡された配布用の資金があるのかもしれない。100万円を政治資金収支報告書でどう処理したのかも甘利自身は「どうなのかなあ」と覚えていない様子だった。とぼけたのか、本当に知らないのか。どちらなのか分からなかった。

河井夫妻の逮捕に向けて検察が詰めの捜査を進めていた2020年5月、東京支社の記者だった河野が甘利を直撃取材した時、甘利は「お金の使い道は河井が勝手に決めた。ほんとに河井はばかだ。党本部からお金を配る指示を出していない」と吐き捨てた。そして党本部からの資金提供額を決めるのは「幹事長と事務方でしょう」と語っていた。

2019年の参院選当時の幹事長は二階だ。そして「総理からは私に指示はなかった」とも語り、当時の安倍総理大臣が資金提供額を決めていないとの見方を示していた。

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一気に口が重くなった甘利

現場の記者たちが取材に駆け回っている間、デスクを務める荒木は国会記者会館の会議室で留守番をしていた。頻繁にチャットを見ては、各記者の取材の状況を見守っていたが、そこに書き込まれていた投稿を見て、目を疑った。

「甘利さん、100万円提供を認めました」

書き込んだのは河野だった。念のために確認のメッセージを送ると、甘利は本当に認めたという。この日の取材は二階、菅、甘利からコメントが取れたら御の字で、現金の提供は当然否定されるものと想定していただけに、信じられない気持ちだった。同時に、胸が高鳴った。

その後、荒木は広島の本社にいる高本ら編集局幹部に現状報告のメールを送った。二階、菅の2人にはまだ当たれていないものの、甘利が100万円の提供を認めたと報告した。「甘利さんから引き出せたのは大きい。メモの信ぴょう性を裏付けてくれる」「よくぞ甘利さんを落とした」とうれしいメールが返ってきた。

そして午後。今度は河野と中川の2人が自民党本部で予定されている会合に向かい、甘利を待ち受けた。甘利の写真を撮影し、チャンスがあれば、克行への提供を認めた100万円が買収資金だったかを再確認するのが狙いだった。

写真撮影はうまくいった。ただ、会合後に河野が国会内で甘利に再び直撃すると、口は一気に重くなっていた。言ってはならないことを言ってしまった、と察知したのだろうか。

――河井氏に提供したお金が買収に使われたという認識はありますか。

「おれに聞かれても分かんねえよ」

今度は立ち止まることなく、そのほかの質問には全く答えず、去って行った。このやりとりをした後に、東京支社時代に聞いた甘利の言葉を思い出した。「お金の使い道は河井が勝手に決めた」。知らないことは知らないとやはり答えたのかもしれないと思った。

甘利への取材は想像をはるかに超える成果が得られ、取材班の士気は上がった。

その一方で、菅への直接取材はめどが全く立っていなかった。菅のスケジュールが分かっておらず、国会にいるのか、地元の神奈川県にいるのかも分かっていなかった。甘利の取材を終えてから国会内を回ってみたが、足取りはつかめなかった。