人口的に見てあり得ない三国志演義の動員兵
赤壁古戦場の跡地、三国志演義では曹操が100万人の軍勢を率いているが実際は5分の1程度であった / credit:住友商事グローバルリサーチ
余談ですが、三国志演義(中国の明の時代に書かれた長編小説、歴史書の「三国志」とは別物)では大量の兵士を動員して行われている合戦がしばしば描かれています。
具体的には曹操がライバルの袁紹(えんしょう)を破った官渡の戦いでは曹操が10万 、袁紹が70万の兵を率いたとされており、孫権と劉備が曹操を破った赤壁の戦いでは孫権と劉備が3万、曹操が100万の兵を率いたとされています。
しかし動員した兵たちの食糧や武器は必要であり、これらを用意することができなければ軍隊として動員することはできません。
先述したように中華全土で相次ぐ戦乱と飢饉によって人口が激減していたことを鑑みると、一地方の勢力に過ぎない群雄が70万や100万の兵を動員して合戦に赴くのはまず不可能といっていいでしょう。
実際に正史では官渡の戦いは曹操1万VS袁紹10万、赤壁の戦いは孫権・劉備3万VS曹操20万と書かれており、こちらはまだ現実的な数値と言えます。
三国時代は戦乱が続くだけでなく飢饉も相次いでいたということもあり、庶民たちにとっては非常に暮しにくかった時代です。
三国時代には群雄たちが大活躍している華やかな側面が目立ちますが、中華全土の人口という数字の記録に目を向けると、このような負の側面も多くあったことがわかります。
参考文献
東洋大学学術情報リポジトリ (nii.ac.jp)
https://toyo.repo.nii.ac.jp/records/10119
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。