2019年に起きた河井夫妻選挙違反事件。政治家の河井夫妻が自ら現金を配って回った前代未聞の買収事件だが、その原資が安倍政権の幹部たちから提供されていた疑惑があった。
不透明なカネの問題に切り込んだ中国新聞による渾身の調査報道の裏側を、『ばらまき 選挙と裏金』より一部抜粋・再構成してお届けする。
激しい雨の中、マンションの入口で菅の帰宅を待ち続けた
夜になり、国会記者会館の会議室で記者の河野が頭を悩ましていると、取材班のメンバーがあるネット記事を見つけた。自民党の菅義偉が7日に仙台市で講演し、持論のライドシェア解禁について語ったというニュースだった。
菅はこの日、仙台市へ出張していたのだった。国会内を探しても、取材できるわけがなかった。中国地方の情報網を強みとする中国新聞にとって、東北地方の情報はなかなか手が届かない。「出張予定の情報が入っていれば、菅に直撃できたのに」。出張の情報を得られていなかったことを悔やんだ。
だが、まだチャンスがあるのではないかとも感じてきた。ネット記事を見ても、何時から何時まで講演したかは書かれていなかった。もし午後に講演して、仙台市から新幹線で自宅に帰ってくるとすれば、自宅で待っていれば、菅に直接取材ができるのではないか。
「やれることは全てやろう」。
この東京出張の取材で心がけていた言葉が頭に浮かんだ。「菅さんの自宅に行ってみます」。荒木にそう告げると、荷物をまとめて出発した。国会記者会館の周辺でタクシーを拾い、横浜市へ急いだ。この日の夜は東京に台風が近づき、激しい雨が降っていた。
もし河野が菅の自宅に到着するより、菅が自宅に帰る時間が早ければ、そのまま自宅から出ない可能性が高く、取材は難しい。高速道を走るタクシーの後部座席で焦る気持ちを募らせていた。約1時間をかけて到着すると、マンションの入り口で菅の帰宅を待ち続けた。
だが、菅の車が戻ってくることはなかった。やはり菅は仙台出張から既に帰宅したのかもしれない。「やれることはやった」。そう自分に言い聞かせたものの、結果が出なかったことへの悔しさも残った。8日は菅への直撃に全力をかけることにした。
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取材先の懐に飛び込む「度胸と愛嬌」の精神
残るは幹事長として豪腕をふるった二階俊博だった。84歳。記者の和多と中川は7日の正午前、自民党本部から徒歩5分のところにある二階派の派閥会合が開かれる砂防会館に向かった。
和多と中川は接触する機会をうかがっていた。会合が始まる直前に黒塗りの車の後部座席に乗った二階が会館の駐車場に入るのを確認した。公道から望遠レンズで撮影していた中川は、偶然出会った旧知の地方紙記者に「事件記者みたいですねえ」と冷やかされた。「うちは記者の人数が少ないから、やることが多いんですよ」。言葉を濁した。
その数十分後。会合を終えて出てきた二階は既に大勢の記者に囲まれていた。和多と中川は単独でメモの存在について聞くことは難しく、この場での取材を諦めざるを得なかった。結局、二階を乗せた車は砂防会館から議員会館とは反対側の北方面へ走って見えなくなった。どこへ行くのかは見当もつかなかった。
メモに書かれた疑惑の4人のうち、最も高額となる3300万円の裏金を克行側に提供した疑惑のある二階をどう取材するか。二階クラスの大物議員には、在京メディア各社が記者を張り付かせて動向を追っている。
「1対1」で質問できる場面をつくるのは至難の業だ。取材班が各方面の関係者への取材を続けていたところ、夕方、運良く二階の連絡先が分かった。これもどこで入手したかは明かせないが、どの記者も奮闘していた。
取材班の中で唯一、和多は東京勤務の経験がなかった。永田町での取材作法も分からず、国会担当の記者でないと立ち入れない場所が多いことにも驚いた。
機敏に動き回る河野や中川を頼もしく感じながら、「自分にできることは何だろう」と自問した。相手が政治家であれ、刑事や検事であれ、昔からこそこそと人に会い、ひそひそと話を聞く作業は好きだった。心がけているのは取材先の懐に飛び込む「度胸と愛嬌」の精神だ。
和多は名刺を渡したことすらない二階の連絡先に電話してみることにした。ぶしつけだと怒鳴られるだろうが、そこは愛嬌でやり過ごそうと考えた。
ところが二階は見知らぬ記者からの電話にも予想外に応じた。あいさつもそこそこに和多は切り出した。
――河井案里氏の参院選に絡んで、当時幹事長の二階さんから3300万円の現金を河井さん側に提供したことがありますか?
「そんなことあるわけないじゃない」
――そうですか。一切ご記憶にないですか?
「そうですかって当たり前じゃない。河井案里に3300万円って、そんな証拠あるのかい?」
――はい。検察が河井克行さんの自宅から「幹事長3300」と書いたメモを押収しています。
「んんん、そんなん押収しとるからって、それがそうとどうして分かるんだよ」
二階は一瞬、言い淀んだ。記者には「ネタを当てる」という取材方法がある。知り得た情報を相手にぶつけ、その精度を確認する作業だ。何度も夜回りで通った刑事や検事なら、ちょっとした表情の変化や禅問答のようなやりとりだけでイエスかノーかは分かるようになる。
だが、電話口の二階が見せた逡巡が何を意味するのか、一見の和多には判別できなかった。さらに詰めることにした。