日本最高峰のレーシングカーに乗る“マッチ”が帰ってきた。歌手・タレントであり、モータースポーツ界ではKONDO RACING監督、そしてスーパーフォーミュラを運営する日本レースプロモーション(JRP)の会長として活躍する近藤真彦氏が、スーパーフォーミュラの開発テストでテスト用車両をドライブ。実に24年ぶりにフォーミュラカーでの勇姿を見せた。
近藤会長は2023年のJRP会長就任以降、自らも広告塔となりながらスーパーフォーミュラのPR、盛り上げに奔走してきた。今年7月に還暦を迎えた近藤会長は、スーパー耐久の富士24時間レースで水素カローラをドライブし、久々にレース復帰。その際、水素カローラのドライバーでもあるモリゾウ氏(トヨタ自動車の豊田章男会長)から、還暦祝いとして開発車両のドライブを提案されたという。
今回近藤会長がドライブしたのは、“赤寅”と呼ばれるトヨタエンジン搭載のテスト車両。還暦祝いにはピッタリな真紅のマシンだ。また車両には開発用の様々なパーツが搭載されるとはいえ、基本スペック自体は現行のスーパーフォーミュラ車両と同様だ。
本来テスト2日目の9月27日(金)に行なわれる予定だった近藤会長の走行は、当日天候不良が予想されることから26日(木)に急遽変更。通常の開発テストは15時前に終了したが、その後近藤会長がサーキット入りし、17時から走行が行なわれた。
走行前にはシートポジションなどを確認した後、開発ドライバーの高星明誠からパドルでのシフトチェンジやクラッチミートなど、基本的な操作のレクチャーを受けた。そして17時の走行がスタートすると、まずは高星がコースインして2周走行しタイヤをウォームアップ。ピットに帰ってきたマシンにすかさず近藤会長が乗り込んだ。
スーパーフォーミュラの車両はエンジンの回転数が落ちるとアンチストールに入るようになっているため、いわゆるエンジンがストップする“エンスト”状態にはならなかったものの、初めての発進にはやや手こずっていた様子。それでもほどなくして動き出すことに成功し、2分10秒台〜20秒台のラップタイムで数周走行。間にはピットレーンでのスタート練習も挟んだが、最初の発進時よりは格段にスムーズになっていた。
開発テストということでパドックにいる関係者の数もそれほど多くなかったが、皆がこぞって赤寅のピット前に集結。スピン0でマシンを持ち帰ってきた近藤会長がマシンを降りると、拍手喝采となった。
ヘルメットを脱いで興奮気味の近藤会長に話を聞くと「ドキドキワクワク、60歳のおじさんをめちゃくちゃに盛り上げてくれるマシンです。すごくパワーを感じました」と一言。ややエンジンパワーを調整しての走行になったというが、それでもかなりのパワーを感じたという。
「この前の富士24時間でもモリゾウさんに刺激を受け、ヘルメットを被ってレースに出ると、本当のレースの楽しさを味わえるんだなと思いましたが、今回はその何倍ものめり込めましたね。このワクワク、ドキドキをひとりでも多くの方に伝えたいです」
近藤会長と言えば現役時代、スーパーフォーミュラが全日本F3000/フォーミュラ・ニッポンと呼ばれていた時代にドライバーとして参戦。1995年〜2000年まで戦ったが、フォーミュラカーの走行はそれ以来。実に24年ぶりだ。
「パドルクラッチも、思いっきり左足ブレーキをするのも初めて。僕らが乗っていた頃のフォーミュラ・ニッポンのマシンと比べると、すごいなと」
また、走行中に最もアドレナリンが出た瞬間について問うと、ストレートでアクセル全開にした時だと答えた。
「昔もそうでしたが、勝負に出る時ちょっと自分を見失う瞬間があるんですが、今日は勝負じゃないんだけど、ちょっとその瞬間がありましたね」
「何十年ぶりにフォーミュラに乗ってストレートを全開にするって、なかなかできることじゃないですよね。違う自分が、アクセルを全開にさせてた……そんな感覚でした」
近藤会長がスーパーフォーミュラのステアリングを握るのは、これが最後ではなく、10月には“本番”が待ち受けている。10月12日、13日に富士スピードウェイで開催されるスーパーフォーミュラ第6戦・第7戦では、近藤会長が赤寅でデモランを実施する予定。多くのファンにその勇姿を見せることになっている。今回はその格好の予行演習となっただろう。