【ストロングスタイル】初代タイガーが小林邦昭さんを10カウントゴングで追悼 「よきライバルであり、恩人だった」

『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.30』後楽園ホール(2024年9月26日)

 第3試合終了後に、今月9日に68歳で亡くなられた小林邦昭さんの追悼セレモニーが行われた。

 初代タイガーこと佐山聡にとって小林さんは新日本時代の3年先輩にあたる。若手時代から切磋琢磨し、メキシコ遠征中も共同生活を送った時期があった。81年に初代タイガーが新日本マットに現れ、圧倒的な人気を集めると、翌年小林さんが凱旋帰国。“虎ハンター”に変貌し、激しい抗争を繰り広げた。小林さんは2000年に現役を引退したが、2007年にリアルジャパンで、2011年はレジェンドで限定復帰を果たし、初代タイガーとの一騎打ちが実現。その後も交友関係が続いており、昨年10月には小林さんがストロンスタイル新宿大会でトークショーにも参加していた。

 永遠のライバルである小林さんの遺影を持ってリングに上がった初代タイガーは「17歳から18、19、20と、このリングの上で小林邦昭選手と最高の試合をしていました。小林さんが僕を後輩でありながら引っ張り上げてくれました。亡くなる1週間前に『俺たちいい試合をしたな』と小林さんが言いました。僕はタイガーマスクの試合かと思ったら、若手の時代で。70回もやりながら、1回も小林さんに勝てなくて。その時代のことを言ってました。『お互い病気が治ったら、飯を食いに行こうな』という話をして、それが最後の会話になりました。非常に残念です」と小林さんとの思い出を振り返った。

 「17歳からもう20年経ちます。ちょっと違うかもしれないですね」と冗談を交えつつ、「小林さんは僕にとってよきライバルであり、恩人でもあり、タイガーマスクを作ってくれた人間であり、お互いに凄いライバルでした」と敬意を込めて語ると、「時は流れ、この歳になってもお互い尊敬し合っていました。非常に残念で仕方ありませんでした。今、この会場に来ていると思います」と続け、何度も感謝の言葉を口にした。

 新?寿会長や大会に出場した船木誠勝、永田裕志、スーパー・タイガー、間下隼人、日高郁人らもリングに上がり、追悼の10カウントゴングが打ち鳴らされると、観客も小林さんの追悼ボードを掲げ、ともに黙祷を捧げた。

 バックステージでは「いろんな試合を思い出して。若い頃の試合を思い出しましたね」と語った初代タイガー。新間会長も「僕が知らないところでタイガーの覆面を試合中に自分で出て行って獲っちゃった。それで引きちぎって、試合場に投げちゃった。こっちは頭に来て、『小林ふざけんな』と言ったけど、そのぐらい彼は自分と戦わせるということを自分で作り上げた。新日本プロレスはほとんどそういうレスラーだったね」と2人のライバル時代を懐かしんでいた。