インドは、1971年に当時のソ連との間で「平和友好協力条約」を結び、ソ連崩壊後、ロシアになってからも軍事やエネルギー、科学技術、宇宙開発など、多岐にわたる分野で協力するなど友好関係を継続してきた。

 その理由の一つに、インドが中国とパキスタンとの国境問題や領土問題を抱えることで、ロシアとの関係維持により防衛力を強化しておきたいという思惑があることは言うまでもないだろう。

 インドと中国とはこれまでに幾度も国境付近で軍事衝突を繰り返しており、2020年には双方に死者が出る事態にまで発展。パキスタンとも過去3度にわたって戦火を交え、現在もカシミール地方を巡り対立が続いている。つまり、インドが自国の安全保障を考えた場合、どんなことがあってもロシアとの関係を損なうわけにはいかないのだ。

 そんな背景もあり、ロシアによるウクライナ侵攻開始以降もインドは立場を明確にせず、ゼレンスキー大統領によるラブコールに対してもモディ首相はあくまでも慎重姿勢をとり続けてきた。

「ゼレンスキー氏としては、西側との関係を築きながら、グローバルサウスの盟主でもありプーチン大統領に面と向かってものが言えるモディ首相との会談は、何としても実現したかった。しかしモディ首相は会談には消極的で、結果、ゼレンスキー氏が23年5月の広島サミットに電撃訪問し念願だったモディ氏と対面するという離れ業に出たものの、インドが慎重な姿勢を崩すことはなかったんです」(国際部記者)

 しかし、事態は突然動いた。総選挙で3選を果たしたモディ氏がG7サミット後、二国間首脳会談のためロシアを訪れた時のこと。あろうことかモディ氏がモスクワに到着した当日、ロシア軍がウクライナの小児病院を攻撃。その直後にモディ氏とプーチン氏とが熱い抱擁を交わした写真がウクライナメディアにより世界中に配信され、ゼレンスキー氏は「世界最大の民主主義国の指導者が、こんな日に世界で最も血なまぐさい犯罪者とモスクワで抱き合うなんて」と痛烈にモディ氏を批判したのだ。

「これで多くの西側諸国がモディ氏の言動を批判する騒ぎとなり、インド側は『二国間関係に他国が口を出すべきでない』と反論したものの波紋は広がるばかりで、結局はモディ氏がウクライナを訪問し、『プーチンとの抱擁』におけるダメージコントロールを図ったわけです」(同)

 そんなインドだったが、ウクライナとの間で砲弾や弾薬が取引されていることが発覚、ロシア政府がインド側に抗議したことを9月19日にロイター通信ほかが報じ、世界に波紋が広がっている。報道によれば、砲弾や弾薬はインドの国有軍需企業「ヤントラ」が製造したもので、それがここ1年ほどの間に、イタリアやチェコ経由でウクライナに輸出されていることが税関記録によって明らかになったというのである。

「ロイターの取材に応じた元ヤントラ幹部は、自社で製造した砲弾や弾薬をイタリア防衛企業MESなどに売却していると答え、MESはヤントラから中身が空の砲弾を購入、それに爆発物を詰めてウクライナに輸出しているとしたうえで、『ヤントラにとって同社は最大の海外顧客だ』と述べています。報道によれば、この事態を重く見たロシア政府は、今年7月の外相会談を含め少なくとも2回、インド側に対応を求めたとされますが、インド側が欧州向け輸出に対し制限する措置を取った形跡はないのだとか。むろんこのままインド製の弾薬がウクライナに供給され続けられるとなれば、両国の関係が微妙になることは必至。ロシア側の出方が気になるところです」(同)

 関係を築くためには長い時間がかかるが、それが崩れ去るのは一瞬のことだ。旧ソ連時代から続く両国の関係の行方は…。

灯倫太郎

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