【東京・千代田区発】世界に多くのユーザーを持つ「マインクラフト(マイクラ)」。その中で「日本初のプロマインクラフター」を名乗るタツナミ氏。趣味から始まったゲームプレイをビジネスに発展させ、今ではマイクラを通じた教育の世界に身を置いてマイクロソフトや宇宙航空研究開発機構(JAXA)との協業も果たしている。氏がここまで熱中するマイクラの神髄とは何なのか。自身の幼少期からの個性も交えて伺った。
(本紙主幹・奥田芳恵)
●日本初の「プロマインクラフター」とは?
まずそもそも、「プロマインクラフター」とはいったいどんなお仕事なのかと、そこに至るまでの経緯を教えてください。
私自身マイクラを触り始めたのが2009年です。最初は1人のユーザーとして。マイクラ歴はかれこれ15年になりますが、とにかくマイクラの自由な世界であるということに引かれていました。ひたすら建築をするもよし、敵のモンスターと戦っていくもよし、ボス戦までやるのもよし、という…。自分でマップというか、ワールドをつくることもできます。それが17年になってアバターに着せる服だとか、自分がつくったワールドだとかをほかのユーザー向けに販売できるマーケットプレイスができて。そこからビジネスが始まりました。
最初はどんなものを販売されたのでしょう?
18年にリリースしたのが日本の城を再現した純和風ワールドです。世界中のユーザーが純和風の世界で遊べるという。それで印税収入が入るようになってきて、マイクラが“仕事”になった!と思ったんです。ワールドの出品というのは、アジア圏では第1号でした。
プロマインクラフターというのはオフィシャルな肩書きなんでしょうか?
いえいえ。ただ、純和風ワールドのリリースをYouTubeライブでやっていたら、チャット欄で「タツナミ先生はとうとうプロになったんですね!」と言われて。そうか、自分はプロになったんだ!と。欧米ではワールドをつくる人たちを「ビルダー」と呼ぶんですが、日本ではそういう言葉がなかったので、「プロのマインクラフターだ」というコメントに対して「プロマインクラフターってかっこいいから名乗っていいか?」と聞くとOKだと言うものですから、「じゃあ明日からプロマインクラフターを名乗る!」と。そんな経緯です。もちろん最初は副業のようなものです。ただ、今は自治体と連携してマイクラの教育利用に協力したり、コンテストや教材用のワールドをつくったりということで忙しくなっています。
(広告の後にも続きます)
●友だちのいなかった少年時代が
ものづくりの心を育んだ
幼い頃からものづくりは好きだったのですか。
そうですね。リアルの世界でも子どもの頃からブロック遊びや工作が好きでした。父が転勤族で、友だちをつくれなかったこともあるかもしれません。小中高で5、6回は引っ越していて、基本的に1人でした。妹はいますが、やっぱり男の子の遊びと女の子の遊びは違うので一人の時間が長くて。1人で遊ぶ術を見出してきた、それがものづくりだったのかもしれませんね。天文学も好きだったので、高校生の時には望遠鏡もつくりました。
望遠鏡!? それは「つくれる」と確信しておられたのですか?
つくれると思っていたんでしょうね(笑)。百科事典とか図鑑で構造を調べて、あとはホームセンターで塩ビの筒を買ってきたり、レンズをもらったりして。小学校、中学校では理科の成績は5しか取ったことがなくて、教科書では物足りなくなっていました。光の屈折についても知っていましたし。それと、人間というのは本能的にものをつくれるんじゃないかと感じていました。文系教科はまったくできなかったですけれど(笑)。英語では最下位争いしていたこともあります。
それは、ずいぶんと極端な。
はい。ただ、自作の望遠鏡で月面を初めて見たというのは強烈で、今の仕事につながっています。JAXAと共同で、マイクラ上で月面のワールドをつくりました。衛星の観測データをもとにクレーターなんかも再現した「LUNARCRAFT」というものですが、JAXAのホームページで公開され、日本政府のSNSでも紹介されたので今、世界中の子どもたちが遊んでくれています。