スウェーデンで突然のクビ宣告を受けるも、ヨーロッパ生活を満喫
——養成所を卒業して資格を取られたあとはすぐに就職なさったんですか?
資格を取ったからといってすぐに仕事に就けるわけではないんです。初生雛鑑別師は協会に入り、そこから仕事先に斡旋されるという仕組みです。しかし、日本での就職先は非常に少ないので、経験のない新人は基本的に海外に派遣されます。
——なぜ日本では就職先がないんですか?
鑑別師には定年がないので、大ベテランの先輩方が現役ではたらいているんです。日本国内の仕事を希望している人は、海外である程度経験を積んでから、国内に空きが出たタイミングで声をかけてもらうことが一般的です。
——国内の就職先は競争率が高いのですね。
そうですね。ただ、私のように海外に行きたいという理由で鑑別師の資格を取る方もとても多いんですよ。私はもともとフランスに行きたかったのですが、地域の希望を出すことができないため、スウェーデンに派遣されました。
——スウェーデンではどれぐらいの期間はたらいていたのでしょう?
2003年から2011年までの8年間ですね。派遣前から「スウェーデンは新人に厳しい」という噂を耳にしていたので、行きたくはなかったんですけど(笑)。派遣されたのはスウェーデン生まれの日本人鑑別師が社長をやっている会社でした。7年間、週4日ほど仕事をしていたのですが、突然解雇されてしまって……。
——その後どうされたんですか?
その後1年間はスウェーデンに住所を置きながら、ヨーロッパのさまざまな国でなんとか雛鑑別師としてはたらいていました。確定申告もスウェーデン語でやって、税金もちゃんと納めて……となったら、もうどこでもやっていけるなという自信がつきましたね。海外でやりたいことはやりきったなと感じたので、2011年の夏に帰国を決めました。
——実際にスウェーデンで生活して、最初にテレビ番組で見た鑑別師のライフスタイルと違いはありましたか?
大きなギャップはなかったですね。突然の解雇など想定外のトラブルはありましたが、スウェーデンは本当に素晴らしい国でした。しっかり休みが取れる環境だったので、長期休暇をとって日本に一時帰国したり、バカンスでヨーロッパ中を旅行したりしていました。
※スウェーデンを拠点に車や飛行機でヨーロッパを旅していたという
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鑑別師とデザインの仕事を両立。自分らしいはたらき方を見つけるために必要なこと
——帰国後はどのようにはたらいていらっしゃるんですか?
現在は新潟で鑑別師としてはたらきながら、アクセサリー制作、グラフィックデザイン、フードスタイリングなどの仕事を並行して行っています。海外にいたときは初生雛鑑別師以外の仕事をしようという考えはありませんでしたが、日本に帰ってきたらもっといろいろなことにチャレンジしたいという気持ちが湧いてきたんです。
——ジュエリーの販売員から初生雛鑑別師になったり、新しい仕事に取り組んだりと、チャレンジ精神が旺盛ですね。
私がキャリアかを選択する時の基準はワクワクするかどうかなんですよ。心がワクワクすることをそのまま進めれば絶対にうまくいく。「好きなことを仕事にする」って簡単ではないかもしれません。でも好きなことを仕事にしたほうが上達も早いし、楽しいじゃないですか。自分の心に素直でいることを心がけています。
高橋さんが制作しているヴィンテージのタッセルをモチーフにしたアクセサリー。
——さまざまな仕事を両立させるのは大変ではないですか?
鑑別をしている時って手が自動的に動くような感覚なんです。鑑別をしながらも頭は自由なので、同時にクリエイティブのことを考えているんです。手を動かしていると、不思議とアイデアが湧いてくる。相乗効果があるんです。
フードスタイリングの写真を掲載しているインスタグラムアカウント。66000人以上のフォロワーが。
——高橋さんのような「自分らしいはたらき方」を見つけるためにはどうすれば良いでしょうか?
自分自身のことを理解することが大切だと思います。私自身、就職活動の時に自分の適性を見極めて選んだかというとそうではなくて、「なんとなくできそうだな」「ちょっと興味があるな」というくらいで百貨店に就職しました。すごく楽しかったのですが、なんとなくで進んでいくといつか歪みが出てきてしまうのだなと学びました。
私にとって初生雛鑑別師は天職。黙々と仕分ける作業は自分にあっていると思いますし、何よりヒヨコも好き。どんな大変なことがあっても鑑別の仕事を続けていきたいと思っています。だけど、同時にほかの仕事も挑戦していきたい。どちらの気持ちも大切にした結果、今のようなはたらき方が実現できました。
自分が得意なことを見つけ、それを追求していくこと。そうすれば自分らしいはたらき方に近づいていくのではないでしょうか。