エレベーター用のボタンを製造・販売する東京・八王子の「島田電機製作所」が今年7月、〝押す〟をテーマにした新施設「OSEBA・オセバ」を工場施設内にオープンした。1048個のボタンを展示する「1000のボタン」やボタン早押しバトルなど、日常生活では叶うことのない「ボタンを押しまくりたい」という欲求を満たせるエンタメ空間だ。「当選確率1%、日本一予約が取れない工場見学」と称される同社が仕掛けた施設の人気の裏側を探った。
《お客様の年収では押せません》《賞与》…押したくなるユニークなボタンの数々
「島田電機製作所」が今年7月、日本初の〝押す〟をテーマにした新施設「OSEBA・オセバ」を東京・八王子にオープンした。
一体どんなエンタメ空間が広がっているのか。早速現地へ赴いた。
工場施設内3階に位置する「OSEBA・オセバ」。
入口には「ボタンを押せば 何かはじまる」というネオン光に照らされた文字盤。その奥へと足を踏み入れると、壁一面にはボタンが所せましと並ぶ異世界が広がっていた。
一番の目玉は1048個のボタンを展示する「1000のボタン」。
エレベーター用の約600個に、社員や一般の人が考案したオリジナル約400個が並ぶ。
「世界平和」「賞与」と描かれた、いかにも押したい欲求を駆り立ててくるボタンに、「絶対に!押すな」「お客様の年収では押せません」と煽りマックスのボタン、さらにはタレントの所ジョージさんや佐々木希さん、モー娘。の譜久村聖さんなど著名人がデザインしたボタンも展示されている。
さらに奥へと進むと、333個のハート形のボタンを30秒間でいくつ押せるか競うゲーム「ハートビート早押しチャレンジ」というコーナーもある。
大人の平均は170個、子どもの平均は80個。実際に記者も試してみたが、高低差のあるボタンを押し続けるのは意外に疲れるし難しい。
カウントダウンされる中、焦って押し間違えたりしつつも、ひたすらボタンを押して光らせていき、ゲームは終了。「157」と何とも微妙な数字をたたき出したのだった…。
その他、島田電機製作所の100年の歴史と製品を紹介するコーナーや、来場者が考える「あったらいいな こんなボタン」を紹介するコーナーも設置。
《休み1日延長》《膝の水がなくなるボタン》《母親休みます》《息子が100点とってくれるボタン》《会いたい人に会えるボタン》《夫婦円満ラブラブボタン》などくすっと笑えるユニークなボタンから切実な思いが伝わってくるボタンまで多種多様だ。
エレベーターのボタンを押しまくったり、家の玄関チャイムを押し続けたり。
「ボタンを押したい」という純粋な欲求を日常の場面で体現すると、迷惑がかかることが多いため、その欲求は子どもから大人になるにつれて自然と封印してしまっている。
だが、この空間では欲求に純粋な子どもも、欲求を封印していた大人も、それぞれの思いを爆発させてボタンを押しまくることが許される。
そんな夢のような空間がこの八王子の工場内で広がっていたのだった。
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業績低迷、閉塞感漂う社内を変えた社長の起死回生の一手とは
「『ボタンを押したら 何かはじまる』の文言の通り、ボタンには始まりや変化など、子どもも大人も関係なく何かを掻き立てるようなドキドキ感やワクワク感があると思います」
そう語るのは島田電機製作所の5代目社長、島田正孝さん(55)だ。
「日本一予約の取れない工場見学」を施設化し、平日4日間、6時間のみの営業にも関わらず、オープンから2カ月で約5千人が来場するほどの盛況ぶりを見せている。
しかし島田さんが社長に就任した2013年はまだ工場見学も実施していないばかりか、業績も低迷が続き、社内全体には閉塞感が漂っていた。
「売上を上げたいとか業績をよくしたいとか、それは目標であって目的ではない。何のためにこの会社があるのか、どうありたいのか、まずは目的を持とうと考えたんです」(島田さん)
島田電機製作所は1933年に創業。エレベーター用の意匠器具を中心としたオーダーメイドのものづくり企業として都庁や森ビル、東京スカイツリーに虎ノ門ヒルズ、あべのハルカスなど名だたる建築物のエレベーターボタンの製造を手掛けてきた。
しかし、大手エレベーターメーカーの下請けである以上、島田電機製作所の名前が世に出ることはない。
「この会社って世の中から知られていない会社だなって気づいたんです。やっぱり自分たちの仕事が社会にどう認められているのか実感することって必要なんじゃないかなって思ったんですよ」
社員の士気を高めるため、社員向けのカルチャーブックの製作や福利厚生を整えるなどの社内改革を行いつつ、メディアを積極的に活用していくことを決意した。
「メディアって今の世の中の関心事を求めているから、時流に乗っていれば取り上げてもらえるんです。メディアに取り上げられる会社を目指し、さらに今のことを知る機会にもなる。一石二鳥だなって思って」
千葉テレビの出演を皮切りに続々とメディア露出を増やしていき、それに平行する形でボタンをキーホルダーにしてガチャガチャ形式で販売するなど、社外向けにも様々な取り組みを進めていった。
そんな中、息子を持つ母親から会社に一本の電話がかかってくる。これが「日本一予約の取れない工場見学」誕生のきっかけとなった。