昭和40年代は大変な特撮ブームで、数多くの特撮映画や特撮ドラマが制作されました。フジテレビ系で放映された『魔神バンダー』は1クール、全13話で終了したこともあり、大人気だったとは言い難いのですが、子供心に印象に残る作品でした。今もソフト化されずに「幻の番組」となっている『魔神バンダー』を振り返ります。

子供向け番組らしからぬ、二重につらい結末

 核ミサイルは日本で爆発しそうだと、ニュースは伝えます。結局、心優しい王子は、地球に来て知り合った日本人たちのことを見捨てることができません。バンダーに核ミサイルの処理を命じます。最終回、バンダーは最初から怒った顔モードです。空を飛ぶバンダーは、そのまま核ミサイルと正面衝突し、空中で大爆発します。バンダーのおかげで、日本は核被害から逃れることができたのでした。

 忠実なバンダーに対し、残酷な指令を出してしまった王子は、泣きたくても泣けません。そして、バンダーを失った王子とX1号は、永遠にパロン彗星に帰ることができなくなってしまったのです。立花博士は「若者たちは飛行機もろとも敵艦に体当たりして、祖国を守ろうとした」と戦時中の日本の話を持ち出しますが、別の星で生まれ育った王子の慰めにはならなかったように思います。

 子供向け番組らしからぬ、二重につらいバッドエンドでした。それゆえに、忘れられない特撮ドラマになっていたのです。

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『魔神ガロン』から生まれたふたつの特撮ドラマ

 もうひとつ、『魔神バンダー』で気になっていたのは、エンディングに使われていたバンダーや王子たちの原画マンガでした。このマンガのタッチが、手塚治虫先生の絵柄とそっくりだったのです。手塚治虫原作ではない『魔神バンダー』に、手塚治虫ふうのキャラクターたちが使われていたことに、子供心に妙に違和感があったのです。

 国会図書館に行き、マンガ版『魔神バンダー』全4巻を借りて読んだところ、マンガ版の作者は「井上智」とありました。井上智氏は「虫プロ」漫画部に所属し、その後独立。手塚治虫先生のアシスタントだった平田昭吾氏らと「智プロ」を設立し、「冒険王」(秋田書店)にてマンガ版『魔神バンダー』をTV放映に先駆けて連載したことが分かりました。

 もともと、『魔神バンダー』は手塚先生のマンガ『魔神ガロン』を実写ドラマ化しようとしたものの、頓挫し、その代案として誕生したものだったのです。

『魔神ガロン』は高い文明を持つ宇宙人が、地球人の良心を試すために悪魔にも神にもなりうるガロンを送り込んだという、ハードな設定のSFストーリーです。もし、しっかり完結していれば、横山光輝マンガ『マーズ』ばりの問題作になっていたはずです。ポリゴン的なガロンのビジュアルとシリアスなテーマ性は、子供向け番組には難しいとテレビ局側は判断したのかもしれません。

 そこで別の手塚作品『ピロンの秘密』と『魔神ガロン』を組み合わせ、勧善懲悪スタイルの『魔神バンダー』が生み出されたわけです。いわば『魔神バンダー』は、手塚治虫公認の非手塚治虫作品だったと言えそうです。

 手塚先生はその後も『魔神ガロン』の実写化を諦めず、1970年代に再挑戦していますが、やはり実現せず、代わりに「東洋エージェンシー(現・創通)」と「ひとみプロ」の共同制作による特撮ドラマ『サンダーマスク』(1972年~73年)が日本テレビ系で放映されています。著作権利が分散し、『サンダーマスク』もソフト化されずに至っています。

 手塚先生は1978年に放映された「24時間テレビ」(日本テレビ系)のアニメスペシャル第1弾『100万年地球の旅 バンダーブック』を制作し、主人公に「バンダー」という名前を付けています。バンダーという名前に、それなりに愛着があったのではないでしょうか。今もソフト化されずに「幻のヒーロー」でいる『魔神バンダー』、ならびに『サンダーマスク』が愛おしく思えてきます。