19歳から20歳にかけて処女作『あみこ』を撮った山中瑶子監督の登場は、日本映画史における事件だった。あれから7年──。『不適切にもほどがある!』『あんのこと』『ルックバック』などで2024年最ブレイク俳優・河合優実を主演にした、『ナミビアの砂漠』が9月6日より公開。「『あみこ』のときに信じていたものは全部捨てた」と言い切る、山中監督の新境地とは。
9月公開の、新進気鋭の映画監督にスポットをあてていくインタビューシリーズ「日本映画3.0」全3回の第1回をお届けする。
自分勝手で人を振り回すような主人公を、河合さんで見たかった
──底知れないエネルギーに満ちた映画でした。「ナミビアの砂漠」というタイトルは、いつ浮かんだのでしょうか?
山中瑶子(以下同) 河合優実さん演じる主人公のカナは、いつも誰かと一緒にいて相手に依存しているような人です。
脚本を書いている途中、「この人は1人でいるときなにしているんだろう」と考えたときに、YouTubeで24時間生配信されているナミビア砂漠のライブ映像を思い出しました。
次第に作品全体のテーマと呼応する要素を持っていることに気づき、タイトルにもなったんです。
──カナには群れをはぐれた野生動物のような雰囲気があり、タイトルと響きあっていると感じています。今の「いつも誰かと一緒にいる」という話に、いわれてみれば……と驚きました。
1人でいると、余計なことばかり考えてしまって耐えられないのだと思います。
──本作は、河合優実さんを主演に映画を撮る話から始まったと聞いています。カナはいつ頃、このようなキャラクターになったのでしょうか?
最初は、とある原作の主演として河合さんに出てもらう企画が進行していました。
ただ、その作品に関して、当時の私では最後まで走りきることができないと思って、撮影の5ヶ月前に企画から降りたいとプロデューサーに申し出ました。
するとプロデューサーが「河合さん主演のまま、オリジナルで好きにやってみるのはどうか」と提案してくれて。だったら、今まで見たことがないような河合さんを撮りたいなと思った。
倫理的に間違っていて、自分勝手で人を振り回すような主人公を、河合さんで見たかったんです。
──河合さんは、山中監督のデビュー作『あみこ』を高校3年のときに映画館で観て衝撃を受け、「私はこれから女優になるのでいつか監督の作品に出してください」という手紙を監督に渡したと聞きました。待望のタッグを実現するにあたり、河合さんとは会話を重ねたのでしょうか?
脚本の執筆前から、3~4回お会いしました。本当は、お会いするのは完成した脚本を渡した後にしたかったんです。
でも、企画が急遽オリジナルに変更となったあと、執筆がどうにも進まず……。ヒントをもらいたくて、お時間をいただくことにしました。
どんな映画にしたいかは話さず、お互いの身の回りのことをざっくばらんに話しました。家族や自分のこと、日本で生きていて感じる気分のこととか。あくまで河合さんのムードをつかむためですね。
「自分の嫌なところは?」という質問に対して、「たまに人の話を聞いていない」と河合さんが教えてくれたのですが、そのエピソードは冒頭のカフェのシーンに取り入れました。
──カナの年齢は21歳。これには、なにか理由があるんでしょうか。
撮影当時の河合さんは22歳で、どういう役にせよ高校生などの遠い年齢にしたくないなと思っていました。
でもカナが見えてきてからは、22歳でも20歳でもなく、21歳だ、と直感的に確信していました。
大学に行くかどうかで多少違いはありますが、人間って、20歳前後から、急に物質量と情報量の多い社会に放り出されるじゃないですか。
カナの場合は18歳から社会に出て、混沌とした世界に対処して、その日のごはんからなにからなにまで選んでいかなきゃならない日々を生き出して、耐えきれなくなった頃を描きたかった。
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東京の情報量に混乱していた
──カナは美容脱毛サロンのスタッフとして働いています。現代の女性を取り巻く抑圧を描くのにぴったりの職業だ、と思いました。
男性の経済力に依存しているニートとして描くこともできたんですけど、そこはしっかり働いてもらおう、と思いました(笑)。普通の子として描きたかったですし。
脱毛サロンって、資本主義とルッキズムがかたく結びついた、東京の象徴だなあと。
こんなに毛を忌み嫌うのって、世界でも日本くらいだし、東京が一番じゃないですか? そして若者ほど、その強迫感に取り込まれやすい。
私も大学一年のとき、友達に誘われて行ったんです。
「今日契約したらこのお得な金額ですが、一度持ち帰られると通常のお値段になります」というセールスを受けて、その場で契約してしまいました。
それが明らかにおかしいということを18歳で上京したての我々は気づけず、今日ならお得なんだと思い込んでしまった。カナの場合は、サービスの提供者としてその構造に取り込まれているわけですね。
──監督は長野で育ち、大学から東京に来たけれど、すぐに行かなくなったそうですね。当時は、東京の中でどうすごしていたんですか?
それこそカナほどではなくとも、アップダウンが激しい時期でした。夜中に急に10キロ歩いたり。今思うと、東京の情報量にわけ分かんなくなっていたんでしょうね。
──撮りたい映画の方向が定まるにつれて、「わけ分かんない」状態を脱せた?
いや、撮りたい映画ってないんですよね。今回も無理やり出していますし、次は浮かんでないですし。
気分も変わりやすいので、1年前の自分がやりたいと思っていたことに今は全く関心が持てなかったりします。
だから映画と、自分の人生のことは、今は分けて考えるようにしています。分けるようになってから、ちょっとよくなったかな。
自分の人生で起きたことすべて映画の糧になると思っていた時期が苦しかった。
──「電車で聞こえてきた会話のメモをとっている」と過去のインタビューで読みました。
そう、それもやめました。自分の生活と映画がごっちゃになる理由はそこだと思った。移動するときまでそんなことをしていたら、頭がフィクションに支配されてしまう……と思って。今はメモはせず、脚本を書くときに思い出すようにしています。
──分けられるようになったきっかけはありますか?
コロナ禍に突入したときに縁あって、京都に引っ越して、2年ほど住んでいたんです。そのときにだいぶ分けられるようになりましたね。
──東京では分けきれなかった?
そうですね。コロナで映画も作れない状況でしたし、なにもしなくていいやーって環境にいれたことが大きかったです。東京にいたらそれでもなにかをやらないといけないって思ったかもしれない。
──『あみこ』と『ナミビア』、通底するものを感じながら観たので、その7年の間に監督の身にそこまでの変化があったというのはとてもおもしろいです。
他の自分の短編に比べると同じパッションを感じると自分でも思うし、いわれるんですけど、マインドはもう全然違いますね。『あみこ』のときに固執していたものは手放せた、という感じです。
──総じて東京のことを「砂漠」と感じることはありますか?
よくいう、「なんでもあるけどなんもない」は理解できますね。砂漠の方が豊かだと思います。東京は自分の欲望が見えにくくなる場所。