10月14日に行われるボクシングの中日本・西部日本フライ級新人王対抗戦に出場する、天熊丸木ボクシングジム所属の小川椋也(りょうや)選手(25)には、3年間のひきこもり経験がある。「視線恐怖症」と呼ばれる症状を抱えるプロボクサーが己の拳で手繰り寄せようとする「普通」の社会生活とは――。
不登校になって中退、スーパーでのアルバイト生活
──プロボクサーになる以前は、ひきこもり生活を3年間されていたとのことですが、経緯を教えていただけますか?
小川椋也(以下同) 2017年頃から、周囲の視線が気になったり、あるいは自分の目線が相手を不愉快にさせているのではないかという考え方に囚われたりするようになりました。
そのあたりから、家から出ることのできない、いわゆるひきこもりになりました。
それ以前は、通っていた高校を中退して実家からアルバイトに通う日々をすごしていました。
スーパーのレジ打ちのアルバイトだったのですが、接客業にもかかわらず、表情が死んだ人のように硬直してしまって、自分でも「おかしいな」と感じていました。
また、そうした表情をお客さんが見たら不愉快に思うのではないかと怖くてたまらなかったです。
結局、ひきこもりを脱したのは2020年あたりです。以前より関心のあったボクシングジムに週に1回程度通ったのをきっかけに、だんだんと外に出られるようになりました。
──アルバイト時代、具体的にお客さんから接客態度についてクレームがついたとか、そうした事実はあったのでしょうか?
いえ、クレームなどはありません。声だけはしっかり出そうと思って、元気な声でやっていたからかもしれません。
ただ、あるとき、お客さんが私を見て「なに、この子」というような目をしたように感じたんです。そのあたりから、結構ふさぎ込みがちになってしまったのかなと今にしてみれば思います。
──高校を中退された原因はなんだったのでしょうか。
中学生くらいのときはソフトテニス部に所属して楽しくすごし、高校入学後もクラスで和気あいあいとやっていました。
ところが2年生に進級してクラス替えをすると、その学級に馴染むことができなかったんです。結局、3ヶ月ほど不登校になり、そのまま自主退学するに至りました。
──しかし退学直後は、アルバイトに行くなどの社会生活を送れていますよね。
そうですね、最初の1年くらいは元気に接客をやれていたと思います。アルバイト先は自分よりも全然年齢層が高い女性が多く、コミュニケーションが必ずしもうまく取れませんでした。
加えて、同年代は学校へ行ってるはずの昼間の時間に働いているという、疎外感にも似た感情が徐々に強くなっていったのだと思います。
(広告の後にも続きます)
視線恐怖症と闘う、プロボクサーに
──そうした状況のなかで、他人の視線が気になる症状が出てくるのですね。医師からはどのような診断をされたのでしょうか?
医師からは、「社交不安障害」(SAD=social anxiety disorder)であると診断されています。視線恐怖症というのは、大きく3つほどの種類があるんです。
1つ目は、他人からの視線が気になるという症状です。2つ目は、自分の視線が他人に不快感を与えていると思ってしまう症状です。
そして最後に、脇見恐怖症といって、自分の視界に他人が入り込んでくることが恐怖になるんです。
──小川選手はそれらすべての症状を経験しているのでしょうか?
はい。そして、厳密には現在でも完全には克服できていないんです。
──現在もなお闘病中なのですね。そういった症状があることで、ボクサーとして困ることはなんでしょうか?
たとえば試合のように1対1で殴り合う場合、あるいは試合と同形式の練習などについては、あまり問題になりません。
しかし、脇見恐怖症の症状があるため、大きな鏡の前でジム生みんなでシャドーボクシングを行う際には、非常に気になって集中力を欠いてしまいます。人が視界に入ると、ドキドキしてしまうんです。
──たとえばご自身の試合のときも、大勢の観客が応援にくるなどの状況が想定されますよね。
自分の試合のときには、目の前の勝利をつかもうと必死に集中しているため、気にならないです。
ただ、たとえば同門の選手が出場する試合の応援などは、周りに人が多いため駆けつけられないんです。応援したい気持ちがあるだけに、そのことが非常に悔しいです。
──現在、プロボクサーとして活動しながらアルバイトもされているとのことですが、社会生活においては、視線恐怖症であることでどのような弊害がありますか。
以前のような接客業はできないとわかっているので、現在は清掃業に従事しています。マンションの清掃が主な仕事なので、仕事仲間や住人との密なコミュニケーションを必要とはしません。
自分に与えられた範囲の仕事をきちんとこなすことで社会の役に立てる点が合っていると思い、この仕事を選びました。ただ、稀に住人と鉢合わせることがあります。
そのとき、私は目を合わせることができないので、「挨拶の仕方に違和感を持たれたのではないか」「不愉快な思いをさせたのではないか」と考えて、苦しくなることがあります。