霞が関の官庁の中で外務省ほど「天下り」に無縁な省庁はないのではないか。なぜか?答えは簡単だ。

 まず、50代初頭から「肩たたき」にあうような大方の他省庁と違い、外務省にあっては、いったん入省したキャリア(総合職。旧上級職)は、大半が60代半ばまで大使等のポストをやらせてもらえるからだ。

 私自身は、国を憂える思いが募り、昨年末に62歳で外務省を去った。だが、昭和59年(1984年)に入省した同期25人のうち、私以外の全員は今も在職中だ。民間企業や他省庁ではあり得ないことで、羨ましく受け取られるだろう。

 もう一つの理由は、「天下り」を引き受ける側がメリットを感じるような人材が少ないからではないか。内向き志向が嘆かわしいほど強まった今の外務省にあって、外国語能力、外国との人的ネットワーク、国際情勢分析力を「売り」にできるタマはなかなかいない。

 ましてや、大使を務めたことさえない外務官僚となれば、次官、外務審議官や局長をやった位でプライドの塊となり、使いにくいことこの上ない輩が溢れている。「落選した国会議員と五十歩百歩」と言われるゆえんだ。

 私自身は、幸いにも日本国際問題研究所・所長代行、国際情報統括官、経済局長、駐豪大使時代の仕事ぶりを見ていてくれた人たちがあり、TMI総合法律事務所、笹川平和財団、JPR&Cなど、いくつかの組織・企業から誘いを受けて人生第二ステージを歩んでいる。いずれもすべて個人的な繋がりによるものである。

 他方、せっかく国民の税金を投入し、40年前後も外交畑で人材を育ててきたことを勘案すれば、人生100年の時代に外交官OBをもっと社会の為に貢献させられないかとの指摘もあり得るだろう。

 ひとつの候補分野は、口頭でのプレゼンテーション(説明能力)だ。世界標準では、大抵の日本人は大人し過ぎて退屈だとみなされる。食事の場でも、喋らないと相手にされない国がほとんどで、黙ってうつむいて食べるのに専念する文化は稀だ。だからこそ、そうした環境で鍛え上げられた外交官こそ、口頭の説明能力が磨かれるはずだ。教師から生徒への一方通行が圧倒的に多い日本の高等教育にも新風を吹き込めるはずだ。

 もうひとつは、英語をはじめとする外国語での発信力だ。講演、メディア・インタビュー、SNSなど、手段はあまたある。大使や総領事として場数を踏んできた外交官の独壇場の筈だ。

 ところが、実態はそうなっていない。政治主導の掛け声の下、危険回避、内向き志向が強まり、「内交官」が霞が関、永田町にはびこり、外交官として当然備わるべきはずの上記の能力が疎かになってきたからだ。

 一例をあげれば、最近の外務省幹部で内外の主要紙・テレビ局のインタビューに応じた例は寡聞にして知らない。これでは、能力は伸びないし、「天下り」の道など枯渇することになる。

 外交官の第二の人生の扉を自ら閉ざしているのは外交官自身なのだ。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)がある。

 

 

 

 

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