孤独なヒーローというイメージが強い「仮面ライダー」は、しかし、仮面ライダーを陰から支える相棒の存在が番組を盛り上げました。時代が昭和から平成に変わっても、変わらぬ頼れる存在が仮面ライダーのバディです。



「ライダーマン」(左)と「V3」。「S.H.Figuarts(真骨彫製法) ライダーマン」(BANDAI SPIRITS) (C)石森プロ・東映

【画像】えっ、そんなミニスカで戦うの? シリーズ初の変身ヒロイン「タックル」をチェックする(7枚)

ライダーシリーズの分岐点となった「相棒」の登場

 日本の等身大特撮ヒーローの代名詞ともいえる「仮面ライダー」シリーズ、そのいわゆる「昭和ライダー」の頃は、ひとりで戦うロンリーヒーローという印象があります。しかし、第1作にあたる『仮面ライダー』(1971年)から、「相棒(バディ)もの」の側面も強くありました。

 当初の『仮面ライダー』は、悪の組織「ショッカー」に改造された「本郷猛」の孤独な戦いを描いています。本来ならそのシチュエーションのまま物語は進む予定でした。ところが、とあるアクシデントから路線変更せざるを得ない状況となります。

 それは本郷猛役の藤岡弘(現在は藤岡弘、)さんが、撮影中の事故で番組から長期離脱しなくてはいけなくなったからでした。これにより番組自体の存続すら危ぶまれます。この急場をしのいだのが、本来なら第11話のゲストキャラクターだった「滝和也」のレギュラー化でした。

 変身前の本郷の代わりに、滝が生身のアクションを担当することで、作品として体裁を整えたわけです。そして、本郷が海外のショッカーと戦うため日本を離れたという設定の下、「仮面ライダー2号」に変身する新主人公「一文字隼人」が登場しました。

 こういった経緯で、はからずも主人公とそれを支える相棒というフォーマットが形成されます。この滝の存在が、孤独だった仮面ライダーの戦いを変化させました。その存在感の大きさゆえに、ケガから復帰した藤岡さん演じる本郷とも、滝は一緒に戦うことになります。

 そして、やがて『仮面ライダー』の物語は幕を閉じ、後番組となる『仮面ライダーV3』(1973年)へとバトンタッチしました。この時、レギュラーとして残ったのは「おやじさん」こと「立花藤兵衛」のみ、滝はアメリカに帰国するという形で以降の作品にも登場しません。

 ところが、満を持して始まった『V3』は、番組を進めていくうちにいくつかの不安要素が見えてきました。そのひとつが、前作でいうところの滝にあたる存在がいなかったことです。そのためか、いくつかの打開策が講じられました。

 ひとつは、第29話から登場した「佐久間ケン」という新キャラクターです。ところが、キャラクターが予想通りには動かなかったようで、第37話以降は登場しなくなりました。

 この前後、滝の再登場というアイディアも出ましたが、それを発展させたのが新キャラクターの「ライダーマン」です。当初は滝が改造される予定から始まり、結果的には番組に登場した設定へと変化しました。

 このライダーマンが、「最初から相棒役として考えられた仮面ライダー」としては初めての存在となります。なぜなら、2号は新しい主役として誕生しているからです。そして、いわゆる昭和ライダーのなかでは、このライダーマンだけが今風にいうところの「サブ・ライダー」といえるでしょう。

 しかし、単に仮面ライダーの相棒という存在なら滝が先人となります。そして、この滝の存在がライダーマンを生んだわけですから、後のシリーズに与えた滝というキャラクターの影響は計り知れません。

 このように、初期のライダーシリーズは「相棒もの」としても考えられ、そして以降の作品にも別のパターンで相棒といえる存在のキャラクターを生み出していました。



『仮面ライダーアマゾン Vol.1』DVD(東映)

(広告の後にも続きます)

時代が平成となっても頼れる相棒が続々登場

 シリーズ第3作『仮面ライダーX』(1974年)では、相棒キャラと呼べる存在は登場していません。続く第4作『仮面ライダーアマゾン』(1974年)では、明確に相棒といえる存在ではありませんが、「モグラ獣人」がそのポジションでしょうか。仮にこのモグラ獣人を相棒と考えると、シリーズ初の死亡した相棒キャラクターといえるかもしれません。

 第5作となる『仮面ライダーストロンガー』(1975年)では、初めて第1話から相棒となるキャラクターが登場していました。それが「電波人間タックル」です。シリーズ初の変身ヒロインでもありました。

 もともとタックルは、『ストロンガー』企画段階での『5人ライダー(仮称)』の時から存在したキャラクターです。ちなみに、この『5人ライダー』のアイディアが、後に『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)へとつながりました。

 つまりタックルは、本来ならシリーズ初の女性仮面ライダーだったわけです。もっとも、この『5人ライダー』と「女性ライダー」に関しては事前協議の段階で、キー局である毎日放送側から難色を示され、企画書すら作られませんでした。

 タックルは番組途中で死亡退場することになりますが、その存在は作品を語るうえで外せない大きなものとなっています。この「男女相棒もの」というコンセプトは、後発の作品群にも少なからず影響を与えたといってもいいでしょう。

 その後、時代は移り変わっていき、さまざまなライダーシリーズ作品が生まれたなかで、「相棒もの」という観点から注目される作品がいくつか見られます。そのひとつが『仮面ライダークウガ』(2000年)です。

 この作品で主人公「五代雄介/仮面ライダークウガ」を助けるのが、警視庁の刑事「一条薫」でした。この『クウガ』では、ライダーはひとりだったこともあって、一条の存在感は原典の滝に勝るとも劣らないものだったと思います。

 特筆したいのが、一条はあくまでも生身の存在というところです。平成シリーズ以降、複数人のライダーが当たり前のように出てくる作品群にはない存在感を示していました。何しろ近年ではメインキャラクターのほとんどが、いずれはライダーになってしまうからです。

 もうひとつが『仮面ライダーW』(2009年)でしょうか。本作品では「左翔太郎」と「フィリップ」のふたりで、主人公である「仮面ライダーW」へと変身します。つまり相棒が力を合わせて変身する、究極の相棒ものの仮面ライダーといえるでしょう。

 もちろん、このほかにも相棒という部分を注目していくと面白い発見ができるかもしれません。筆者も昭和世代ゆえに、以前は「仮面ライダーは孤独に戦うロンリーヒーロー」というイメージを強く持っていました。しかし、固定概念にこだわらず作品群を観ることで、違ったものが見えてくるものです。