「9月が終わったら、起こして」…グリーン・デイの名曲に隠された少年の悲しみとは? 『アメリカン・イディオット』収録の「9.11」テロを想起させる曲に隠された真実

2025年に、15年ぶりとなる来日公演が開催予定のパンクバンド、グリーン・デイ。彼らの最高傑作アルバムと呼ばれる『アメリカン・イディオット』に収録されている「ウェイク・ミー・アップ・ホウェン・セプテンバー・エンズ」(Wake Me Up When September Ends)には悲しい真実が隠されていた……。

早すぎた父の死

グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングの父は、ジャズ・ミュージシャンだった。しかし、音楽では暮らしが成り立たなくて、トラックのドライバーとして家族を養っていた。

6人兄弟の末っ子だったビリーは、幼い頃から歌の才能を発揮したので、父から音楽の手ほどきを受けていた。そんな父が食道ガンと宣告されたのは、1983年4月のことだった。

そこから夏の闘病生活を経ても回復はかなわず、秋を迎えた9月10日に亡くなってしまう。11歳になっていたビリー少年はベッドで毛布をかぶって、母親に泣きながらこう言ったという。

「9月が終わったら、起こして」

ビリーは父を失くした悲しみのなかで、母が再婚した相手(継父)に馴染めないまま、ひたすら音楽に没頭していく……。

サンフランシスコの対岸・イーストベイに住む仲間たちとパンク・バンドを始めたビリーは、グリーン・デイのヴォーカルとして、地元のマイナー・レーベルからアルバムを出した。それが1990年のことで、父の死からすでに7年の歳月が過ぎていた。

R.E.M.、ソニック・ユース、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、そしてニルヴァーナらが切り拓いた、1990年代の米国オルタナティヴ・ロックの隆盛は、グリーン・デイらのポップ・パンク勢も押し上げた。

そして初のメジャー作品として、1994年に発表されたアルバム『ドゥーキー』(Dookie)は、カレッジ・チャートで支持されてヒット。やがて総合チャートを駆け上がり、全米だけで1000万枚を越すビッグセールスを記録する。

その後は1995年の『インソムニアック』(Insomniac)、1997年の『ニムロッド』(Nimrod)、2000年の『ウォーニング』(Warning)と、グリーン・デイは確実にヒット・アルバムをリリース。キャリアを重ねながら、王道のロック・バンドへと成長を遂げようとする。

それを象徴したのが、2004年9月にリリースされた『アメリカン・イディオット』(American Idiot)だった。

(広告の後にも続きます)

単なる非戦・反戦の歌じゃなかった
「ウェイク・ミー・アップ・ホウェン・セプテンバー・エンズ」

時代背景としてあったのは、「9.11テロ」をきっかけに、当時のブッシュ大統領が2003年に始めたイラク戦争だった。そのことによって動揺していたアメリカの現実が、アルバムの骨格となっていた。

マンネリ気味とも批評されたグリーン・デイの感動的な復活作であるばかりでなく、ロック史上に輝く名作となったパンク・オペラ『アメリカン・イディオット』。2005年のグラミー賞では「最優秀ロック・アルバム賞」を受賞した。

特にシングルヒットした「ウェイク・ミー・アップ・ホウェン・セプテンバー・エンズ」(Wake Me Up When September Ends)は、アルバムの11曲目に収められていることと、“9月”という単語が入っていることから、「9.11テロ」を想起させた。

物語仕立てのミュージック・ビデオでは、イラク戦争によって引き裂かれる恋人たちの姿が描かれていることから、非戦・反戦のメッセージとも共鳴してヒットした「ウェイク・ミー・アップ・ホウェン・セプテンバー・エンズ」。

実はこの曲は、「父の死から7年」「9月が終わる頃に起こして」など歌詞を聴けば分かるように、悲しみに覆われながらも、現実を直視しながら夢に向かって行動した、ビリー少年の心の内が込められていた。

ビリーはアルバムを出した時のインタビューで、「音楽によって何かが変えられると思う?」という質問に、こう答えている。

「その時起こっていることの、写真を撮るような意味合いはあるよね。だって音楽は音楽の歴史に残るよね? 歴史から学ぶのは、それを繰り返したくないという想い。だから音楽というメッセージは、戦争みたいなことを繰り返さないようにするのに役立つんじゃないかと思う」

文/佐藤剛 構成/TAP the POP サムネイル/Shutterstock
引用
「Green Day / General Interview for the album『American Idiot』 2004.08.06@Tokyo」