『もののけ姫』の「エボシ御前」は、当初物語の途中で死ぬ予定でした。しかし、最終的には生き残り、タタラ場の人びとと新生活を始めます。死ぬ予定だったエボシ御前が生き残るまでには、どんな制作秘話があったのでしょうか。



最終的には右腕を失ったエボシ御前だったが? 画像は『もののけ姫』の静止画 (C)1997 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, ND

【画像】あれ、実はめっちゃ長身? こちらは誰よりも背が高そうなエボシ御前です(3枚)

宮崎駿監督も頭を抱えていた「エボシ御前の生死」

 1997年に公開されたスタジオジブリの映画『もののけ姫』には、「エボシ御前」という女性が登場します。エボシ御前は、主人公である「アシタカ」が旅の途中でたどり着いた「タタラ場」の指導者です。タタラ場を守るためなら神を殺すこともためらわない勇猛な人物ですが、物語の終盤では山犬の神である「モロの君」に片腕を食いちぎられてしまいました。腕を失うものの最終的には生き残り、タタラ場の人びとと新しい生活を始めることになります。

 このような複雑な人物造詣からなのか、多くのファンを惹きつけてやまないエボシ御前は当初、物語の途中で死んでしまう予定でした。そのエボシ御前がどうして生き延びることになったのでしょうか?

 1998年10月28日に出版された書籍『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(徳間書店)には、エボシ御前の生死をめぐって、宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーとの話し合いの様子が記されていました。本書によれば、当初、鈴木氏は「エボシを生かしたまま終わらせたのが気に入らない」様子だったそうです。

 鈴木氏の意見は「エボシが死んだ方が、アシタカがタタラ場に残る意味が出る」というものでした。宮崎監督も、一度はエボシ御前を殺すことを決め、彼女が死んでしまう絵コンテを描き上げました。

 しかし、宮崎監督は、エボシ御前に対して深い思い入れを持っていたようです。本書ではエボシ御前について「人間はああやってきましたからね。(中略)ああいう人物、嫌いじゃないですよ。難しいですね。そいつが早く退いてくれると楽なんだけど」とコメントしており、エボシ御前を死なせることに葛藤していたのだと推察できます。

 また、2023年6月16日に出版された書籍『スタジオジブリ物語』(集英社)では、宮崎監督が一度は受け入れたエボシ御前の死を覆し、最終的には腕を失うことに留めたことが記されていました。そのほかにも、タタラ場が炎上することも、エボシ御前が腕を失うこともないラストが描かれたことも紹介されており、エボシ御前の処遇についてはたくさんの変更があったことが分かります。

 エボシ御前を生かしておいたことについて、宮崎監督はインタビュー「映画がいつも希望を語らなければいけないなんて思わない」のなかで「生き残る方が大変だと思っているもんですから」と語っていました。

 さらに「この映画では死ぬ筈だった者が平気で生き残ってるんです。死ななくてもいい人間たちが累々と死んでいるとかね。そういう意味では酷く無惨な映画なんです」と自身の見解を述べており、この結末は決して幸せなものではないのだと考えさせられる内容です。

 そのほかにも、宮崎監督は書籍『折り返し点 1997~2008』(岩波書店)のなかで、エボシ御前のことを「二十世紀の理想の人物なんじゃないかと思ってるんです」とコメントしていました。これらの言動からも、エボシ御前は宮崎監督にとって特別なキャラクターなのでしょう。

 本来のエボシ御前が死んでしまうラストだったなら、『もののけ姫』はまた違った評価を受けたことでしょう。あえて彼女が生き残ったことが、より物語に深みを与えているのかもしれません。