日本におけるアメカジブームの礎を築き上げたリビングレジェンドたちの貴重な証言を、「Pt.アルフレッド」代表・本江浩二さんのナビゲーションでお届け。今回ご登場いただくのは、今も昔も原宿キャシディで仕入担当として活躍する八木沢博幸さん。今も現役を貫くスタイルから、今に繫がる八木沢さんの歴史を紐解いていく。

Introduction/本記事ナビゲーター「Pt.アルフレッド」代表・本江さんと八木沢さんとの関係とは?

今回のゲストは“満を持して”原宿の老舗「原宿キャシディ」の顔としてお馴染みの八木沢さんにお願いしました。80年代、原宿が大人の街だった頃の話ですが、ボクはまだ20代前半、当時勤めていたアパレル会社時代からの長いお付き合いになります。

毎月集金にうかがい斉藤社長にはいつも緊張しっぱなしでした(八木沢さんは今も昔も仕入れ担当として勤務されていて、社長は別の方です)。まだ都内でもB社は原宿、S社は渋谷と銀座が発展途上中で、アメ横も含めて東京都内ではアジのある個人商店がたくさん存在してました。

これまで様々な媒体で深堀りされた話は一旦置いておき、都市伝説的な逸話が後を絶たない八木沢さん(ごめん)の謎多きプライベートまで踏み込んだ質問をバンバンぶつけました!

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グラフィックから ファッションの世界へ。


八木沢博幸|1956年、東京生まれ。幼少期に日光へと引っ越し、高校卒業後に上京。東京デザイナー学院入学。卒業後の約2年間、デザイン事務所に勤務した後、現店舗の経営母体である「ミドリヤ」に入社。翌年から海外買い付けにも参画し、1981年に「原宿キャシディ」、2010年に「キャシディ・ホームグロウン by H.Yagisawa」をオープン。オリジナルアイテムの企画はもちろん、今日も現役で店舗に立ち続けるアメトラシーンを代表する存在

日本におけるアメカジムーブメントの礎を築き上げたリビングレジェンドたちの貴重な証言を、Ptアルフレッド代表・本江さんのナビゲーションでお届けする本連載。今回ご登場いただくのは、「原宿キャシディ」の店長兼メインバイヤーとしてお馴染みの八木沢博幸さん。前身となる「ミドリヤ」時代よりオーナー斎藤道雄さんの右腕として表に立ち、いまや日本を代表するアメトラシーンのアイコンでありながら、そのオフシーンやプライベートなどパーソナルな部分はあまり語られることがなかった。

とはいえ、この業界に長くいると八木沢さんに関するまことしやかな噂を耳にすることがままある。細かな例なら「先日福岡で拝見した」(福岡自体行ったことがない)、「セブンスターを吸っている」(そもそも非喫煙者)、「休日は洗濯日としている」、「古着は着ない」(ともに後述する)など、言わば都市伝説的に妄想や誤った認識が独り歩きしている。そこで本稿では、八木沢さんの出自やこれまでの歩みなど周知の事実はほどほどに、謎多きアザーサイドに迫っていきたいと思う。

東京デザイナー学院在学中よりアメ横に通い詰め、卒業後に約2年ほどデザイン事務所にて印刷関係の業務に就いていたものの、ファッションへの興味を拭いきれず退職。先述した斎藤さんに誘われるかたちで大井町にあった輸入衣料品店「ミドリヤ」に在籍することとなった。

「もともとファッション誌のタイポグラフィやエディトリアルデザインに興味があり、当初はグラフィックデザイナーを目指していたのですが、実際に携わってみると写植(文字型を印画紙やフィルム上に並べ組む作業)ばかりやらされて(笑)。当時アメ横にあった『ルーフ』というショップがスタッフを募集いていたので心機一転受けてみたものの落ちてしまい、その際たまたま面接会場になったビルに来ていた斎藤に『それならウチへ来ないか』と誘っていただき、『ミドリヤ』に在籍することになりました。それが1979年のことです」

ここで最も気になるのが、八木沢さんのスタイル変遷だろう。本江さん曰く「当時はサーファー全盛期。アメ横のスタッフたちは皆〈リーバイス〉746、一方の原宿は646と、いわゆるベルボトムが主流だった」とのことだが、いまの八木沢さんからは想像し難いだろう。

「店では両方扱っていましたし、よりファッションを意識したムービンオン(70年代末に〈リーバイス〉がサーフィンカルチャーを意識して立ち上げたファッションライン)なども展開しましたが、僕は鈍臭かったのでサーファーファッションには馴染めず、ジーンズよりももっぱらチノパン派でした。〈ロバート ブルース〉というマイナーブランドのアメリカ製パンツを好んで穿いたのを覚えています。

後々知ったのですが僕が『ミドリヤ』に採用されたきっかけも、『ルーフ』のショップカラー的には大人しすぎると、オーナー同士のお話し合いに依るものとか。みんながGジャンを着ていても、僕はひとりブレザーやカーディガンばかり着ていましたし、アメカジよりもトラディショナルなスタイルに当初から興味があったことは事実です。フレアパンツをお直し屋でストレートにリメイクして穿いていたくらい、主流や流行とはかけ離れていたと思いますね」

ミドリヤ(原宿キャシディ)入社前の八木沢さん。「原宿キャシディ」へ訪れたことがある読者ならご存知だろう店頭に並ぶ数々のイラストは、すべて八木沢さん御本人が手掛けている。こちらのイラストでは「ミドリヤ」に入社した頃のご自身のスタイルを振り返りながら描いていただいた。このように取材では表現し切れなかった細かなニュアンスなどを後日イラストでご教示いただくこともしばしば。

「キャシディ」のオーナーでもある斎藤さんが品川区大井町にオープンした輸入衣料品店「ミドリヤ」。写真は当時のショッパーと閉業間際の店舗。西海岸買い付け時代には八木沢さんもマドラスシャツやスウェット、ダウンベストなどを愛用。