ジャガー横田「プロレスにブックなんて言葉はありません。どんな意味なのかも知りません」話題の『極悪女王』をブッタ斬り!

「髪切りマッチを日本で一番最初にやったのは私」

ジャガー自身もリングネームが本名の「横田利美」から「ジャガー横田」に変わったときに意識が変化したことを覚えている。

「本名じゃなくてリングネームが付くと選手として認められた気がしてすごくうれしかった。私より前に後輩のデビル雅美が『デビル』って付けられて、後輩が自分の位置を確保しているようですっごいジェラシーだった。

デビルは実力も伴っていたので、『デビルに負けてはいけない』とライバルだと思っていて必死でした。今はデビルがいたおかげで私は上を目指せたと感謝しています」

『極悪女王』のクライマックスは、ダンプ松本と長与千種の敗者髪切りマッチが描かれている。これは実際、1985年8月28日に大阪城ホールで行われた試合で、壮絶な試合をゆりやんと長与千種役の唐田えりかが再現している。

女性の命と言われる髪の毛をかけたデスマッチ「髪切りマッチ」の先駆けが実はジャガーだった。

1983年5月7日、川崎市体育館で覆面レスラーのラ・ギャラクティカとのWWWA世界シングル選手権で負ければジャガーは、「髪の毛」を、ギャラクティカは「マスク」をかけたデスマッチでジャガーは敗れ、リング上で髪の毛を切り落とされた。

「髪切りマッチを日本で一番最初にやったのは私です。きっかけは『髪切りマッチやるか?』って俊国さんから言われて、私は誰もやったことがない新しいルールでやらせてもらうのは光栄なことだと思ってすぐに『やります』って受けました。

試合は負けたけど、髪の毛はすぐに伸びるし、次にギャラクティカと再戦する時にやり返せばいいと考えました。人と同じことをやるのは好きじゃない。日本で初めてと歴史に名前が残るから私にとっては、いい思い出になっている試合です」

さまざまな思いを『極悪女王』を通じて明かしてくれたジャガー。最後にこんな期待を残してくれた。

「ドラマを見て女子プロを初めて知った人もたくさんいると思うので、女子プロレスラーになるきっかけになってくれたらすごくうれしいです。

プロレスラーになる子がいなければ、この世界の発展はありませんから。いろんな思いをすべてひっくるめて女子プロレスを世間一般に届けてくださったことに『極悪女王』のスタッフ、出演者のみなさんに感謝しています」

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〈前編〉『極悪女王』を観たジャガー横田が「あれは心外だった」と怒ったシーンとは

取材・文/中井浩一 撮影/佐賀章広