【取材】川嶋あいの半生。3歳で養子/『あいのり』主題歌で16歳にデビュー/命日「8月20日」のライブ開催。

『あいのり』の主題歌に

2002年9月20日、金曜深夜24時55分。当時16歳の川嶋あいさんは、自宅で息をのむようにしてテレビ画面を見つめていました。

その日は、フジテレビ系列の人気番組『あいのり』の新たな主題歌として、川嶋さん(ai)とnaoさんのユニット「I WiSH」が歌う『明日への扉』が初めて流される日。その瞬間を見届けようと、川嶋さんの自宅には、naoさんだけでなく、川嶋さんが「路上」で出会った仲間たちが集っていたのです。

番組のラストで、『明日への扉』のイントロが流れ始めます。その瞬間、歓声が部屋に響きました。川嶋さんの目から溢れ出す涙。その場にいる全員が、泣いていました。

誰よりもこの日を喜んでくれるはずだった人は、1カ月前の8月20日、亡くなっていました。「一番共有したい人がそばにいない」という悲しみは、それから10年間、癒えることがありませんでした――。

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人生を変えた選択

川嶋さんは、幼少期に同年代の子どもたちと毎日一緒に寝て、起きて、遊んで過ごした日々のことをおぼえています。1986年2月21日に川嶋さんが生まれた時、父は行方不明、母は体調不良ですぐに乳児院に預けられました。同年代の友人たちとの思い出は、その後に移った児童養護施設での記憶です。

その記憶の中に、たまに会いに来てくれる夫婦がいました。幼い川嶋さんは「この人たちは私のお父さん、お母さんなんだろうな。いつか、この人たちのお家に帰れるのかな」と思っていました。実際には、実父の行方は分からず、実母は体調が回復しないまま、川嶋さんが生まれて半年ほどで亡くなっていました。川嶋さんに会いに来ていた二人は、間もなくして川嶋さんを養子に迎えます。ちなみに、まだ幼いころに養子に迎えられた川嶋さんは、実父と実母がいることを知らずに育つことに。


川嶋さんの幼少期

しかし、幼かった川嶋さんは福岡県の養父母の家に引き取られると、慣れない環境に施設に戻りたいと毎日泣きました。子どもを育てた経験のなかった養母は、どうしたらいいのかわからず困り果てたのでしょう。元保母さんが講師を務めている音楽教室を訪ね、育児の相談をしました。なぜ、そこにたどり着いたのか、分かりません。しかし、結果を見れば、養母の選択は二人の人生を大きく変えました。

「3歳から通っていたので、その音楽教室や先生のことは強い記憶として残っています。最初は先生が童謡を教えてくれて、それに合わせて踊ったり歌ったりするのがすごく好きで。その時の記憶に、泣いている自分はいませんね」

その教室ではもともと演歌をメインに教えていたため、そのうちに川嶋さんも演歌を歌うように。初舞台は、4歳の時。着物を着て、香西かおりさんのヒット曲「雨酒場」を歌……えませんでした。恐らく緊張していたのでしょう。舞台上で一言も声が出なかったのです。ただ、先生が教えてくれた振付だけは、忘れませんでした。振付だけのステージを終えると、同じ教室で学ぶ大人たちが、大きな声援と拍手を贈ってくれました。舞台袖で待つ母は、満面の笑みで「よく頑張ったね」と褒めてくれました。


マイクを持つ幼少期の川嶋さん