【取材】川嶋あいの半生。3歳で養子/『あいのり』主題歌で16歳にデビュー/命日「8月20日」のライブ開催。

「将来の夢は歌手」になった理由

週1回だった音楽教室は、小学校低学年になると週5回に増えていました。福岡の地元で開催されている歌のコンテストにも出場するように。それは川嶋さんではなく、母の意志でした。

「『歌手になってほしい』という母の思いは、日に日に強くなっていました。でも、私は小さなコンテストでも一度も賞を取ったことがないし、自分よりうまい子たちをいっぱい見てきて、ほんとに才能がないんだなって歌うたびに痛感していたんです。歌手になるなんて無理だろうと、子どもながらに感じていました」

それでも教室に通い、コンテストに出続けたのは、母のため。本番でどんなに失敗しても、うまく歌えなくても、母はいつも「よく頑張ったね!」と笑いかけてくれました。その笑顔を見たくて、いつしか「将来の夢は歌手」になりました。

10歳の時、父が亡くなって二人暮らしになります。それからますます応援に熱が入ったのかもしれません。毎日、毎日、「練習しなさい」と迫ってくる母。しかし、いくら一生懸命に歌っても、コンテストで勝てません。

その現実に耐えらず、小学校5年生の時、家を飛び出した川嶋さんは音楽教室に駆け込んで、「自分は才能がない。もう辞めたいです」と先生の前で大泣きしたことがあります。その時、先生は川嶋さんの母がどれだけ娘のことを大切に思って子育てしてきたかを話してくれました。それを聞いて、「もう一度、一から頑張ってみよう」と考え直したのです。

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出生の秘密を知った日

もの心つく前から母と二人三脚で歩んできた川嶋さんが、自分の出生について知ったのは中学1年生の時。母から、自宅の金庫の中にある書類を取ってくるように頼まれた際、なにげなくほかの書類を手に取りました。その書類には母親の名として聞いたことのない名前が書きこまれていたのです。

呆然としながらも事実を悟った川嶋さんは、母に書類を見せて、「これは何?」と尋ねました。母はそれまで一度も見せたことがないような悲しげな表情を浮かべ、静かにこう言いました。

「あいは小さいころ、施設におってね。お父さんとお母さんがその施設であいと出会って、川島家に引き取ったとよ」

想像もしなかった事実に、言葉を失う川嶋さん。

「私もいっぱい聞きたいことはあったんです。でも、パンドラの箱みたいに開ければ開けるほど、見たくないものとか、知りたくないことが出てきそうで、私もそれ以上は何も聞けませんでした。本当のお父さん、お母さんが誰なのかとか、どうしてこういう運命になったのかはどうでもよくて、本当のお父さんお母さんだと思っていた人が、そうじゃなかったということに打ちのめされました」

しかし翌朝、母はいつもとまったく同じ表情、態度で川嶋さんを迎えます。その様子を見て、川嶋さんは「この人が私の母親だし、一番大切な人だ。この人がそばにいるんだから、そのほかの事実なんて関係ない」と思うことができたのです。それから一度も、二人ががあいさんの出生について話題にすることはありませんでした。