群馬大学が「なぜ卵子はただ1つの精子とのみ受精するのか?」の仕組みを解明 / Credit:Canva . ナゾロジー編集部
また教科書が書き換わります。
群馬大学で行われた研究によって、卵子がたった1つの精子のみと受精する仕組み「多精拒否」の一端が解明されました。
あまり知られていませんが、高校の生物の教科書に記載される「多精拒否」の仕組みは実はウニやカエルなど体外受精する生物ついて記されたもので、哺乳類には当てはまりませんでした。
しかし今回の線虫を用いた研究により新たな多精拒否の仕組みの一端が解明され、哺乳類にも適応できる可能性が示されました。
多精子受精は体外受精を失敗させる原因であるため、多精子受精を拒否する仕組みの解明は不妊治療の成功率を高めることにもつながります。
研究内容の詳細は2024年1月26日に『Nature Communications』にて公開されています。
目次
1つの精子だけが受精する仕組みは謎が多い細胞内のゴミ処理機能が「早い多精拒否」を担っている
1つの精子だけが受精する仕組みは謎が多い
私たちのような性を持つ生物(有性生物)の多くは、卵母細胞(卵子)がただ1つの精子とのみ受精することによって誕生します。
この際、たとえ周囲に多数の精子が存在していても、1つの精子とのみ受精します。
卵母細胞(卵子)に複数の精子が同時に受精してしまうと、雄由来の余分なゲノムDNAが受精卵内に持ち込まれてしまい、適切に細胞分裂できず、異常な発生をしてしまうことが知られています。
(※養殖などの人工的な環境では遺伝子セットを3種類持つ3倍体の魚などが生まれてきますが、精子や卵子の数が少なく自然環境で子孫を残すことはできません。人間の場合も1個の卵子に2個の精子が受精し、3セットの遺伝子を持ってしまうと流産してしまいます)
群馬大学が「なぜ卵子はただ1つの精子とのみ受精するのか?」の仕組みを解明 / Credit:Canva . ナゾロジー編集部
そのためイモリや鳥などの少数の動物を除いて、有性生殖を行う多くの動物では、受精卵が異数性ゲノムを持つことを防ぐために、受精中に卵母細胞は 1 つの精子とのみ融合する仕組みを備えています。
たとえばウニやカエルなどの卵生動物では、精子と卵母細胞の膜が融合した後、数秒以内に卵細胞膜において脱分極が起こり、精子侵入点を起点として、卵の全域へ電流が流れていくことが知られています。
この電流には他の精子の動きを止める働きがあり、多精子受精を防ぐために最初に起こる反応として知られています。
高校の生物の教科書などではこの現象が精子侵入から数秒以内に起こることから「早い多精拒否」として記しています。
受験生の中には電流が「ナトリウムイオンの流入」によって起こることや、卵子全体に電気的変化が広がっていく現象を「受精波」として覚えている人もいるでしょう。
一方、最初の精子の受精から数分後に形成される受精膜には2番目位以降の精子を物理的に遮断する役割があり、こちらは「遅い受精拒否」として知られています。
受精卵はこれら「早い多精拒否」と「遅い受精拒否」を組合わせることで、多精受精をブロックしているのです。
群馬大学が「なぜ卵子はただ1つの精子とのみ受精するのか?」の仕組みを解明 / Credit:群馬大学 . 多精子受精拒否の仕組みの一端を解明 ~なぜ卵母細胞(卵子)はただ1つの精子とのみ受精するのか~
しかし近年の研究により、哺乳類のような胎生生物では様子が違うことが明らかになってきました。
驚くべきことに、哺乳類においてはウニやカエルと違い、最初の精子の侵入後にも多精拒否を目的とした脱分極(電流)が発生しないことが判明したのです。
そのため哺乳類においては「早い多精拒否」はそもそも起こらないのではないかという説や、あったとしても電流以外の、全く別のメカニズムが存在していると考えられるようになりました。
しかし現状それが、どんなものかは不明のままでした。
そこで今回、群馬大学の研究者たちは線虫(C.elegans)を使って、早い多精拒否が起こるメカニズムを調べることにしました。
しかしなぜ線虫なのでしょうか?
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細胞内のゴミ処理機能が「早い多精拒否」を担っている
なぜ線虫なのか?
哺乳類と線虫は全く別の種のため、哺乳類の研究に線虫を使うことに違和感を覚える人もいるかもしれません。
しかし線虫も人間と同じように酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し、人間が口にする食べ物の多くは線虫の細胞でもエネルギー源とすることができます。
姿形は大きく異なっていても、細胞レベルの違いは意外なほど少ないのです。
そのため線虫の細胞を研究することは、人間の細胞の謎を解き明かすカギになります。
(※ショウジョウバエも同じ理由で研究が盛んな生物として知られています)
また線虫にはウニやカエルよりも、人間に近い要素がありました。
群馬大学が「なぜ卵子はただ1つの精子とのみ受精するのか?」の仕組みを解明 / Credit:Canva . ナゾロジー編集部
ウニやカエルの生殖は受精前の卵(未受精卵)と精子を水中に放出する体外受精の形式をとりますが、線虫は人間と同じく体内で卵子と精子を結合させる能力があるのです。
そして今回の研究では着眼点もユニークでした。
調査にあたってまず着目されたのは、細胞でゴミ処理機能(ユビキチンリガーゼ)を担うタンパク質「MARC-3」でした。
一般的な印象では、細胞のゴミ処理機能と受精という神秘的な現象は遠い存在に思えます。
しかし最近の研究によって、受精後の卵細胞内部では精子由来のミトコンドリアをはじめとした不要な部品(細胞小器官)が分解されて、胚発生に必要な栄養源となることが明らかになりました。
この受精直後のゴミ処理は線虫において「MARC-3」という遺伝子が担っており、人間やマウスにも「MARC-3」と似た遺伝子が存在することが知られています。
そこで研究者たちは卵細胞でのMARC-3の動きを追跡しました。
するとMARC-3は成長中の卵母細胞の細胞膜に多く係留されてていましたが、受精後には細胞内で分解機能を発揮しはじめることが判明します。
つまり受精とMARC-3によるゴミ処理の動きは連動している可能性が示されたのです。
そこで研究者たちは遺伝子操作を行って、線虫においてゴミ分解にかかわるタンパク質「MARC-3」の遺伝子を削除してみました。
もし本当にMARC-3が多精拒否にかかわっているならば、MARC-3の破壊によって多精子受精が起こるようになるはずです。
群馬大学が「なぜ卵子はただ1つの精子とのみ受精するのか?」の仕組みを解明 / Credit:群馬大学 . 多精子受精拒否の仕組みの一端を解明 ~なぜ卵母細胞(卵子)はただ1つの精子とのみ受精するのか~
すると驚くべきことに、MARC-3の遺伝子を欠損した線虫では早い時期に、多精子受精が起こるようになっていたことが判明します。
一方MARC-3の排除は線虫の「遅い多精拒否」を行う能力は残っていました。
(※線虫では受精後5分ほどで受精卵の外側にキチン層を形成することで物理的な障壁を形成しますが、この能力は残っていました)
この結果は「MARC-3」は受精後10秒以内に起こる「早い多精拒否」において、重要な働きをしていることを示しています。
また「MARC-3」においてゴミ処理機能に特に重要な働きをする部位(処理されるべきゴミにマークをつける部分)だけを破壊した場合も、多精子受精が起きてしまうことが示されました。
このことは受精卵でのゴミ処理機能(ユビキチン化メカニズム)そのものが、多精拒否において重要な役割を果たしていることを示しています。
研究者たちは現在マウスにおいて「MARC-3」を欠損させた系統を作成することを目指しています。
もしマウスでも「MARC-3」の欠損で「早い多精拒否」が起こらなくなるなることが確認できれば、哺乳類における「早い多精拒否」の解明につながるでしょう。
また新たな発見は不妊治療においても重要な情報をなり得ます。
近年、出産の高齢化に伴い、体外受精により妊娠・出産をするケースが増大してきております。
これまでの研究では、加齢した卵に対して通常の体外受精を行うと多精になりやすいことが報告されており、加齢に伴い卵子の多精拒否の力が弱まっている可能性も示唆さされています。
先に述べた通り、多精子受精が起きてしまった卵子は正常に育つことができません。
もし高齢化した卵子にMARC-3を追加することで多精拒否の力を取り戻すことができれば、不妊治療の成功率を大幅にあげることができるでしょう。
参考文献
多精子受精拒否の仕組みの一端を解明 ~なぜ卵母細胞(卵子)はただ1つの精子とのみ受精するのか~
https://www.gunma-u.ac.jp/information/171590
元論文
MARC-3, a membrane-associated ubiquitin ligase, is required for fast polyspermy block in Caenorhabditis elegans
https://www.nature.com/articles/s41467-024-44928-6
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。