WECトヨタでも活躍したニコラ・ラピエール、現役引退を発表。ヒョンデと提携するクールレーシング運営に専念

 ル・マン24時間レースで4度のクラス優勝を誇るニコラ・ラピエールが、引退を決断。クールレーシングの運営に専念すると発表した。

 40歳のラピエールにとって、アルピーヌから参戦して3位入賞を果たした先月の世界耐久選手権(WEC)富士6時間が最後のレースとなった。

 ラピエールはインスタグラムに短いビデオを投稿し、自身の決断について説明した。

「ヘルメットを脱ぎ、人生のこの章を終えるときが来た」

「表彰台でこの旅を終え、もう一度シャンパンファイトができて最高だった。自分の情熱のために生き、自分の好きなことを長年続けてきたことは、私にとって名誉なことだった」

 ラピエールは、今は「ピットウォールの反対側で人生の新たな章を迎える時」だと付け加えた。

「レースが大好きだったのと同じくらい、この仕事も大好きだ。だから遠くに行くわけではないよ」

 ラピエールは2020年にアレクサンドル・コワニーとともに設立したCLXモータースポーツの運営に専念する。このチームはクールレーシングの旗印のもと、スイス・ジュネーブにほど近いフランスのアヌシーを拠点としている。

 ラピエールは公開したビデオの中で、GP2やA1グランプリ、そしてトヨタとアルピーヌのWECでレースウィナーとして活躍した自身のキャリアを振り返り、複数の人物に感謝の言葉を述べた。

 その中にはフィリップ・シノーも含まれている。シノーはアルピーヌの耐久レース活動を指揮するシグナテック・チームを運営しており、その前身でありラピエールが2003年にマカオF3グランプリで優勝したシグネチャー時代から彼と関わりの深い人物だ。

 彼はまた、DAMSチームの創設者であり代表であった故ジャン・ポール・ドリオの名前も挙げた。

「彼はあまりにも早くこの世を去った。彼と彼のチームで、2007年にGP2初勝利を挙げることができた。彼は間違いなく僕のキャリアに変化をもたらした」

 さらに、ラピエールが2007年にスポーツカーレースに進む最初のチャンスを与えたオレカのユーグ・ド・ショナックの名前も挙げられている。オレカからル・マン・シリーズに参戦し、この年から計17回ル・マン24時間レースに参戦。4度のクラス優勝と、2度の総合3位を記録している。

 ラピエールがオレカと契約したことで、2012年に世界耐久選手権が復活した際、トヨタへの加入につながった。

 耐久レースでの経験が豊富なドライバーとしてWECトヨタの黎明期を支えたラピエールは、計6勝をマーク。2014年シーズン途中でトヨタを離れたが、2017年には3台目のTS050ハイブリッドのドライバーとして、トヨタからスパとル・マンを戦っている。

 ラピエールはオレカの元テクニカルディレクターで、現在はTOYOTA GAZOO Racingヨーロッパで同じ役割を担っているデイビッド・フルーリーに賛辞を送った。

「彼は私のキャリア、そして人生にとってとても重要な人だった。僕のレースキャリアでおそらくどん底だった時、レースをやめる寸前だった僕を、彼は復活させてくれたんだ」

 トヨタを離れた後、ラピエールはシグナテック・アルピーヌからWECのLMP2クラスに参戦し活躍。2020年には自身が運営に携わるクールレーシングからLMP2クラスを戦っている。

 その後は、ハイパーカークラスに参戦するアルピーヌのドライバーに。LMP1規定のマシンを使用したA480で2021~2022年を戦った後、今季はLMDh車両のA424をドライブ。前述のように、A424にとってWEC初表彰台となった富士がラストレースとなった。

 なおクールレーシングは、ヒョンデ・モータースポーツと提携し、同メーカーのプレミアムブランドであるジェネシスの名のもと、新型LMDh車両でプロトタイプ・レースへの参戦準備を進めていることが知られている。

 なお、バーレーンで開催される今季のWEC最終戦には、ラピエールに代わってジュール・グーノンが起用され、ミック・シューマッハーやマシュー・ヴァクシビエールとアルピーヌ36号車をシェアすると見られている。