近年、NHK紅白歌合戦で恒例となっているけん玉世界記録チャレンジ。100人以上連続で「大皿」を成功させるという名物企画の参加者の1人が、小学校教諭、けん玉パフォーマーとして活動する小野寺ゴリさんです。
小野寺さんは2016年に生徒が遊んでいたけん玉に魅せられ、ストリートけん玉パフォーマーとしての道を歩み始めました。自身のYouTubeチャンネルやInstagramで練習やパフォーマンスの様子を発信し続け、現在は多数のイベントやメディアに引っ張りだこの「地元のスター」に。
けん玉パフォーマー、学校の先生。二つの顔を持つ小野寺さんが、ギネス認定を受けるまでの道のりを伺います。
憧れの紅白のステージで、けん玉のギネス記録を達成!
──小野寺ゴリさんは2018年にNHKの紅白歌合戦に出演し、「連続してけん玉をキャッチした人の最も長い列」ギネス記録を達成されたそうですね。
私は2016年にけん玉パフォーマーとして活動をスタートさせたのですが、活動を続けていく中でご縁をいただきました。演歌歌手の三山ひろしさんが歌うバックで、ギネス記録に挑戦するという企画なのですが、パフォーマーとしてはもちろん、幼い頃の夢が叶った瞬間でもあったので本当にうれしかったです。
──夢、というのは?
子どものころに演歌歌手・天童よしみさんの歌を聞いて衝撃を受けたんです。独特のリズム、声の伸び、「これは最高だ!」と、演歌歌手になることが将来の夢になりました。
その夢は叶わなかったけれど、パフォーマーとして三山さんをはじめ、有名な演歌歌手の方々と同じステージに立つことができた。大好きな天童よしみさんも出演されていて、感慨深かったですね。
──そんな夢の紅白のステージはいかがでしたか?
僕は過去に2度出場させていただきました。2018年に出演したときは、本番前に2度のリハーサルがあり、1回目はとにかくスポットライトの光が眩しくて驚きました。2回目は、目は慣れてきたものの緊張で身体が思うように動かない。そして、本番はさらに別世界です。しゃがんで待機をしていたのですが、いざ出番が来て立ち上がると、地面がいつもよりも遠くに感じるんです。
【写真】紅白出演時の様子
紅白に出場した仲間たちと、ステージ裏で
──紅白のステージという特殊な環境下でのパフォーマンスはやはり難しいのですね。
パフォーマーたちはけん玉の精鋭たちですので、玉を真上にあげてキャッチする「大皿」という技は、本来ならば簡単に成功させることができる。でも、極度のプレッシャーがかかるあの舞台で成功させることは、本当に難しいのだなと分かりました。
無事成功させギネスを達成することができましたが、その瞬間はあまりの感激で涙が出ましたね。ぼくは普段小学校の教諭としてはたらいているのですが、6年生担任として卒業生を送り出す時にも涙を流しませんでした。ですが、紅白のステージでは大号泣してしまいました。
放送後、いろんな人から連絡がきたことにも驚きました。会場のお客さまは数千人ですが、視聴者は数千万人。その後のニュースなどを含めると1億人が見るかもしれない映像と言われています。やっぱりその影響はすごいですね。元カノからも連絡が来ましたから(笑)
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「人生を変えてくれるかもしれない!」と直感したけん玉との出会い
──そもそも、小野寺さんがけん玉と出会ったきっかけは?
ある日、私が教えていたクラスの男の子がけん玉で遊んでいたんです。その時は「昔の遊び」という感覚でしたが、その後に出会ったけん玉は、私の知っているものとは何もかも違うものでした。ストリートけん玉と呼ばれていて、けん玉自体の見た目もスタイリッシュ、繰り出される技もアクロバティックで格好良い。
けん玉を購入してプレイしてみると、けん玉に触るのは子どものころ以来だったのに、初心者では難しいとされる技をあっさりと成功させてしまった。「もしかして、俺ってけん玉結構得意かも?」とその気になっちゃったんです。今思えばそれはまぐれだったんですけどね(笑)
その後、すぐにインターネットでけん玉をいくつか購入して、学校に持っていくようになりました。クラスの子どもたちと「けん玉」で盛り上がったり、外国語の先生と「Japanese traditional toyですよ」なんて会話できたり、けん玉を通してコミュニケーションの輪が一気に広がっていく実感が得られたんです。
「けん玉が人生を変えてくれるかもしれない」と直感しました。
アクロバティックな技が魅力のストリートけん玉
──そこまで大きな衝撃を受けたのはなぜだったのでしょう?
演歌歌手を夢見ていた小学生のころ、クラスの友達に「演歌って良いよね」と話しても、誰も分かってくれない。私が住んでいた宮城県石巻市では演歌を学べる教室もなかなか珍しく、そのまま夢をあきらめてしまったんです。
中学、高校とバスケに打ち込んだ時期もあったけれど、トッププレイヤーになる才能がないと早い段階で悟りました。その後もバンドをはじめ、いろいろなことにチャレンジしてきたけれど、人生の中で「これだ!」と思えるものに出会えなかったんです。それがコンプレックスになったというか、「このままでいいのか?」という思いが心の片隅に残っていました。
けれど、けん玉の楽しさは誰とだって共有できるし、自分が上達する可能性も感じられた。「これだ!」と思いましたね。
──もう一度夢を見ることができると感じられたのですね。
けん玉が、きっとぼくにいろんな世界を見せてくれる。そんな予感がしたんです。
おもちゃとしてのけん玉は誰もが知っているけれど、ストリートけん玉の競技人口は少ない。バスケもバンドも、いろんな人が既にやっているけれど、けん玉の競技は周りで誰もやっていませんでした。
これなら人とキャラクターも被らないし、パフォーマーとして活躍できる可能性があると感じました。そして、仕事をしながら、すぐにけん玉の練習に打ち込むようになりました。
──仕事との両立は大変ではなかったですか?
ぼくはハマったらとことんのめり込むタイプなんですよ。もちろん体力的にしんどいことはありますが、「大変」とか「つらい」と思ったことはないですね。仕事から帰って、YouTubeでけん玉の動画を観ながら、深夜まで公園で練習していた時期もあります。