〈初告白〉渡邊渚インタビュー「PTSDであることを発表できなくて苦しかった」薬の影響で髪の毛が抜けたことも…でも「友人たちのおかげで生きていこうと思えた」

生きる希望を与えてくれた友人の言葉

ーーそうした出来事を経て、いま笑顔でいられるのは、なぜだと思いますか?

やっぱり周りにいてくれた人たちのおかげです。数少ない友人たちは、私が病気になった次の日にすぐ駆けつけてくれたり、私が「死にたい」と口にしたときにも、優しい言葉を返してくれたりしました。

それに、ずっと仕事でお世話になっていた先輩も、治療中によく励ましてくれていましたね。

ーーフジテレビを退社したあとも、尊敬している先輩や共演したタレントとは交流があったのでしょうか?

どちらかというと、私はタレントさんよりも、番組スタッフの方々と仲が良かったです。特に「もしもツアーズ」を担当されていた女性プロデューサーさんとはすごく仲良しで、病気になる前から家に遊びに行くような間柄で。

病気になってまだ症状が酷くないときに、その方の家に行ったんですよ。そこで、「私は幸せになれるのかな」と言って。

そしたら、「絶対に幸せな未来がやってくる」と断言してくれたんです。その言葉には、今でもすごく励まされています。

ーー救われる言葉を投げかけてくれた、と。

はい。また嬉しいのが、最近その方に子どもが産まれたんですが、その子が「なぎちゃん」という名前なんです。

私がこの1年間どんな状態だったか知っている人が、まさか私の「渚」から取って、大切な子どもの名前にしてくれるなんて。

私は「そんな名前つけて大丈夫?」と言ったんですが、同時に本当に嬉しくて。「この子に恥じないように生きていこう」と強く思いましたし、生きる希望を与えてくれました。

ーー素敵なエピソードですね。そのほかに、優しい声をかけてくれたタレントなどはいましたか?

常に気に掛けてくださっていたのは、キャイ〜ンの天野ひろゆきさんです。

入院中、症状との兼ね合いで太陽の光を浴びられなくて、病室の窓に段ボールや遮光シートが貼られてしまい、今が朝なのか、夜なのか、真っ暗で本当にわからない環境のときがあったんです。

そしたら、天野さんが「いま外はこんな感じだよ!」と写真を送ってきてくれたり、ウド鈴木さんや花火大会の写真を共有してくれたりして。当時の私にとって、すごく心の栄養になっていました。

取材/鈴木ひろあき 集英社オンラインニュース班
構成・文/毛内達大 撮影/松木宏祐 ヘア&メイク/東川綾子