「キムに脅されて、断ったら何かされると思った」
面会室に入り、しばらく待つと鑑別所の先生に連れられてワタルが部屋にやってきた。入り口のドアで私たちを見た後、ずっと下を向いている。
ワタルの父親が、高坂さんと中村さんが来てくれたぞ、とワタルに声をかけた。
椅子に座ったワタルは、下を向いたままうなずいた。部屋はしんと静かだ。ワタルの涙がズボンに落ち、すすり泣く音だけが聞こえていた。
「捕まってホッとしてる」
「怖かったの?」
私がそう聞くと、ワタルは、
「もう悪いことしないですむ……」と答えた。
留置場にいるときよりは、眠れるようになり、ご飯も食べられるようになったと聞いていたが、目の前にいるワタルは明らかに弱っているように見えた。
これから自分がどうなるか、自分がしてしまったこと、不安と後悔で押しつぶされそうなのがわかる。
先の話をしなければいけないが、なかなか話すことができなかった。
母親がジュースを飲むようにすすめたが、ワタルは顔を上げることができない。
面会室は時が止まったように静まり返っていた。ワタルのとなりに置かれたジュースに水滴が浮かび、その水滴だけが時を刻むように滴っていた。
しばらく沈黙がつづいた後、高坂くんがワタルに声をかけた。
「インスタのDMでやりとりしてたけど、急に連絡がとれなくなって心配したよ。お金のことで相談されていたけど……。気づいてあげられなくてごめんね」
「脅されて、彼女の家とか調べられていて、断ったら何かされると思った……」
ワタルは「キム」という人物に脅され、今回の事件のほか、狛江の強盗殺人事件にも誘われていたという。のちに「ルフィ事件」として知られる狛江の事件は2023年1月に起きたもので、ニュースで何度も取り上げられていた。
私たちと渋谷で会った2022年11月から、事件が起きるまでの間に何があったのだろう。
「ワタル、事件はどこからつながっていったの?」
「……闇バイトです」
そこで立ち会いの職員から注意が入った。面会では事件の話はしてはいけないことになっている。私たちは保護者と一緒に、ワタルの今後の社会生活に必要な人たちという枠で面会を許可してもらっていたからだ。
高坂くんと私はここまでだね、と顔を見合わせた。規則を破るつもりはなかったが、知りたい気持ちが先走ってしまった。
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震える声で答えるワタル…「死にたいって思ってしまう」
ワタルは泣き止んではいたが、声はまだ震えている。
「ワタル、少年院送致になっても逆送で刑務所に行くことになったとしても、いずれ社会に戻るときはやってくる。そのときのことだけど、僕が運営するグループホームで再スタートをしてみないかなって思っているんだけど」
高坂くんは自分が理事長をつとめるサポートセンターのパンフレットを差し入れし、施設の説明をしている。聞いていたワタルは少しずつ落ち着きはじめていた。
「高坂さんはわざわざ遠くから来てくれたんだぞ。お礼言わなきゃだぞ」
父親がそう言うと、ワタルは小さな声でありがとうと言った。
「いいんだよ。『4sホーム』のパンフレットとルールとかの差し入れしたから読んでね」
4sホームは、高坂くんの団体が運営する自立準備ホームの名前だ。
「私は本と便せんと切手を差し入れしたからね。手紙書くね。本は『セカンドチャンス!』の本だよ。人生が変わった少年院出院者たちって本だよ」
面会の残り時間を表示するストップウォッチは、あと数分になっていた。
「ワタル、いま、何を考えてる?」
「死にたいって思ってしまう」
高坂くんの言葉に、ワタルは泣きながら答えた。
両親も私たちも、返す言葉がなかった。母親は涙を流していた。