【取材】さらば森田哲矢。借金200万「自堕落な生活」から遅咲きの苦労人。相方スキャンダルで変わった仕事観。

スタジオパーソルでは、はたらく“モヤモヤ”を解決するヒントを届けたいという想いから、様々なはたらく人の「私らしいはたらき方」について深掘りインタビューを行っています。

今回は、お笑いコンビ「さらば青春の光」として芸能活動を行う傍ら、個人芸能事務所「株式会社 ザ・森東 」の社長としても奮闘する森田哲矢さんに密着インタビューを行いました。

かつては200万円の借金を抱え、将来の展望が見えない日々を過ごしていたという森田さん。「死んだような生活」から一転、人気お笑い芸人へ転身し、そして経営者として成功するまで、森田さんのキャリアには大きな転機がいくつもありました。多くの挫折や苦悩を乗り越えていく道のりで、森田さんの“はたらく”価値観はどのように変化したのか。赤裸々に語っていただきました。

※一部を抜粋・編集してお届けします。

「マジで死んだような生活」を一変させた、ある曲との出会い

高校卒業後、お笑いの道に進むまでの間に、森田さんは5年間の“空白期間”を過ごします。病院の売店、カラオケ店、漫画喫茶などのアルバイトを転々とし、やがてパチンコにのめり込んでいきました。消費者金融3社から借金し、最終的に200万円の借金を抱え……。

「マジで死んだような生活というか。何も楽しいことなかったと思います」

そんな森田さんの人生を変えたのは、フォークバンド「野狐禅」の竹原ピストルさんが作った楽曲、「鈍色の青春」との出会いでした。

「『生きてもねえのに死んでたまるか!』という歌詞を聴いたときに、むちゃくちゃ刺さって。たしかに俺、ダラダラしてて、『これを生きてると呼んでいいのか』っていう状態やったんです。『そっか、俺まだ生きてもないんやな』みたいな感じで、じゃあなんかやらなあかんなって」

自分に“億”稼げる仕事なんてあるのか?唯一、お笑い芸人の道ならいけるのではないか?そう真剣に考えた森田さんは、借金返済後に残った20万円をすべて養成所の費用に充てる決意をします。

当時、森田さんは25歳。お笑い芸人として転身する年齢的なハードルを感じつつも、活躍のチャンスを求めて松竹芸能養成所のお笑い芸人コースに入学しました。

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芸人として花開くも「俺の人生マイナスか、トントンだと思ってた」

養成所に入学して2年後、森田さんは相方の東ブクロさんと出会い、「さらば青春の光」を結成。一方で、「なんとなく恥ずかしかったから」と、養成所に通っていることを親にも友人にも隠していたという森田さん。アルバイトで収入を得る生活が続いていました。

「いかに楽なバイトを探すかっていうのも、結構芸人のスキルとして必要やなっていうのはありますね」

森田さんは、競馬新聞の配達、ボーリング場、サウナ施設の居酒屋など、少ない労力で稼げるさまざまなアルバイトを経験しました。

「お笑いで飯食えるとかって、あんま思ってなかったんすよ。自分の人生ってマイナス、行ってもトントンぐらいの感じの人生なんやろなと思ってたから」

そんな中、森田さんは次第にお笑い芸人として才能を開花させていきます。初舞台はキングオブコント。結果は1回戦敗退でしたが、その半年後にはNHK上方漫才コンテストで決勝進出を果たし、お笑い芸人としての可能性に手応えを感じ始めました。

そして2012年、31歳を迎えた森田さんはついにキングオブコントの決勝に進出。しかし、その後も、仕事や収入は思うように増えず……。ついに森田さんは、「会社が悪い」と”若気の至り”で退社を決意。当時の心境を振り返り、森田さんはこう語ります。

「普通に冷静に考えて、我慢してはたらいた方がいいと思います(笑)。でも、辞めてでもやりたいことがあるとか、冷静に判断して辞めるっていう決断をするなら、俺はいいと思いますけどね。俺らは別にそんな冷静に判断して(退社した)とかじゃなかったんで、苦労しましたけど」