アパレル勤務やウーバー配達員など経て「年収1,000万アナウンサー」へ転身。その後「自身喪失」した話。

部署異動や転職、独立などで新しい環境に身を置いたとき、「早く周りに認めてもらわなくちゃ」「自分の価値を証明しなきゃ」と焦りを感じた経験はありませんか?

ニュースメディア「NewsPicks」の初代キャスターとして活躍した奥井奈々さんも、なかなか仕事で結果を出せず、何年も苦しんだといいます。

2018年、落合陽一氏がパーソナリティを務めるNewsPicksの討論番組「WEEKLY OCHIAI」の公開オーディションで100名以上の応募者の中から見出された奥井さん。その後、NewsPicksのさまざまな番組でMCを務める「年収1,000万円のアナウンサー」としてデビューを果たしましたが、アナウンサー職は初。知識やスキル、経験の不足から仕事ができず、失敗と挫折の中で自分の存在価値を見失っていったのだとか。

しかしその後、見事にブレイクを果たします。今年9月に初の著書『ガチ存在価値 -あなたの姿勢で勝ちが決まる-』(游藝舎)を出版した奥井さんに、これまでのキャリアや新しい環境で自分の真価を発揮する方法を聞きました。

上京したのに仕事がない……日雇いで生計を立てた日々

――NewsPicksのアナウンサーになる前はどんな仕事をされていたんですか?

実は、紆余曲折ありまして。「海外で仕事をしたい」という思いから関西外国語大学に入り、在学中はフロリダ大学に留学しました。その費用の足しにと思って在学中に始めたのが、モデルの仕事です。

大学卒業後は、大手アパレル企業に入社して大阪へ。2年ほど総合職ではたらいたのですが、激務で体を壊してしまって。ほかの世界も見てみたくなって退職し、東京に上京したんです。もちろん不安もあったけれど、新しいことができるワクワク感でいっぱいでした。

――その後、東京で就職されたんですか?

はい。前職を辞めてから1カ月後には東京のベンチャーでPRの仕事に就きました。でも、全然戦力になれなくて、試用期間で解雇されてしまったんです。心機一転、東京で頑張ろう! と思っていた矢先に仕事がなくなってしまって……。

それからは、友人の動画編集のお手伝いをしたり、フードデリバリーの配達員のアルバイトをしたりといった日雇いのアルバイトで生計を立てていました。モデルの仕事を再開したのもこの時期です。

キャリアに一貫性がなく、周りと違う生き方をしていることがずっと不安でした。「せっかく東京に来たんだから何かしなきゃ!一歩を踏み出さないともったいない」というサバイバルな欲求もあって、常に焦っていました。

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公開オーディションを勝ち抜きアナウンサーデビュー

――そこから年収1,000万円のアナウンサーになられるんですから波瀾万丈ですね。

思ってもみませんでしたよね。日雇いの仕事を始め、モデル事務所にも入って、その後も1年ほどモデルの仕事をしていたんですが、CMや広告のオーディションに行っては落ちて……のくり返し。そんな中で、落合陽一さんの番組を見るのがすごく楽しみだったんです。

「こんな生活を続けていて大丈夫かな……」と思っている私に、いつも解決の糸口を見せてくれるようなコンテンツだったから、毎回すごく救われていましたね。「落合さんの番組って、本当に世界を変えちゃうかも!」と思いながら、YouTubeの動画からNewsPicksの配信まで全部見ていました。

――最初は純粋に落合陽一さんの番組のファンだったんですね。

そう、歴史を振り返る教養番組が特に好きで。無料で見られるものは全部見尽くし、そのあとNewsPicksの有料会員になって、ひき続き見ていたら、「新しい番組をつくるのでアナウンサーを募集します」という告知が出たんですよ。

何も考えず、純粋に「めちゃくちゃ好き!」という気持ちだけで応募しました。書類選考は履歴書じゃなくて、動画メディアらしく「自分を紹介する動画を撮って送ってください」だったんです。そして、審査に通ると社内面接があり、最後は落合陽一さんの番組内で面談する公開オーディションに臨みました。

――聞いているだけでヒヤヒヤしますが、緊張しませんでしたか?

それが、自分は本当に世間知らずで、これがいかに大きなチャンスかをよく分かっていませんでした。だからほとんど緊張せず、楽しく話して終わりました。その後、採用の通知をいただいたんです。

――日雇いの身から年収1,000万円のアナウンサーになったのですね。

今から思えば、お金のことはあんまり気にしていませんでした。「そんなこと言って、どうせもらえないんでしょう?」と思っていたくらい(笑)。当時はモデル事務所に所属していたので、契約自体は事務所を通す形でしたが、とにかく好きな番組に関われるということの方がずっとうれしかったんです。