1770年日本各地で赤いオーロラが観測された。 / Credit:Credit:Generated by OpenAI’s DALL·E,ナゾロジー編集部

オーロラはアラスカやフィンランドなどで見ることができる現象であり、北海道でもまれに見ることができます。

しかしごくごくまれに本州でも観測することができ、実際に江戸時代には日本各地でオーロラが現れたさえありました。

果たして江戸時代の人々はオーロラに対してどのような反応をしたのでしょうか?

本記事では1770年に日本各地で観測されたオーロラに、貴族や民衆がどのような反応を示したのかについて取り上げていきます。

なおこの研究は國學院雑誌第123巻第2号に詳細が書かれています。

目次

日本でも見ることのできるオーロラ朝廷は大混乱、民衆はパニック最終的には幸運の前兆として捉えていた当時の民衆

日本でも見ることのできるオーロラ


2023年12月に北海道にて観測されたオーロラ、夜空を赤く染めている / credit:北海道新聞

そもそもオーロラはどのようなメカニズムで発生しているのでしょうか?

オーロラはプラズマが地球の大気中の粒子と衝突した際に、大気の粒子が発光して発生しています。

このプラズマは太陽から太陽風として地球に吹きつけており、地球磁場と相互作用して磁気圏内に入っているのです。

この中にあるプラズマが何らかのきっかけで高速で降下した時にオーロラが発生します。

先述したようにオーロラはフィンランドやアラスカなどといった高緯度地域で観測することのできる現象です。

しかし非常に強い太陽嵐によって太陽風が多く地球に吹きつけた場合、低緯度地域にも現れることがあります。

実際に北海道ではたびたびオーロラが観測されており、陸別町のようにオーロラを売りにしている自治体さえあります。

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朝廷は大混乱、民衆はパニック


『星解』に描かれた1770年のオーロラ、このようにオーロラが夜空を赤く染めた / credit:国立極地研究所

このようにオーロラは北海道ではまれに観測されることがある現象ですが、本州で観測されることはほぼありません。

しかし過去にそのような事例がなかったわけではなく、1770年7月28日には日本各地でオーロラが観測されました。

なお日本のような低緯度の場所で観測されるオーロラは緑色ではなく赤色をしているケースが多く、それ故当時の人たちはオーロラのことを「赤気」と呼んでいました。

このオーロラは京都でも観測されており、朝廷は突如夜空に現れたオーロラに対して対応を強いられたのです。

今の私たちからすれば、災害でもない自然現象に公的機関が対応を強いられることは不可解な事のように捉えられます。

しかし当時は科学が発展しておらず、また祈祷や占いが非常に強い力を持っていたので、陰陽師の土御門泰邦がオーロラ出現に対応するということになったのです。

またその数日前には彗星が京都で観測されており、それに対して「何か悪い予兆なのではないか」ということで対策を練っていました。

そのようなこともあってオーロラの出現に朝廷は大混乱に陥ったのです。

しかし泰邦自身は意外なことに「オーロラよりも彗星の方が悪い予兆である」と捉えており、先述した彗星ほど悪いものであるとは捉えていませんでした。

またオーロラを観測した他の知識人たちは歴史書や文献に基づいて、過去に似たような事例が発生していないかを確認しようとする動きが見られました。

それに対し民衆は、口伝えや噂話を通じて情報を共有していました。

民衆たちは「長老の話」や「○○村の誰かの話」といった内容があり、民衆はオーロラの情報について口伝えで情報を集めようとしていたことが窺えます。

天変地異や山火事か何かなのではないかと捉えた民衆も多く、神仏に祈りを捧げたり家が燃えない様に屋根に水をかけたりする人々もいました。

さらに当時の知識人の記録には「東大寺の大仏堂が焼失したので空が赤くなった」といった荒唐無稽のデマが流れていたことが書かれており、混乱していた様子が窺えます。