プライベートな写真や動画がSNSに無断転載され、トラブルや、事件に発展することさえある昨今。過去には「チャリで来た。」と書かれた4人のヤンチャな少年のプリ画像がウェブに転載され、ネットユーザーに“おもちゃ”として扱われ、その結果さまざまな被害に遭ったという。今回はそんな有名プリ画像に写る2名に、当時から現在に至るまでの紆余曲折、さらに画像拡散によってどんな誹謗中傷を受けたか、そしてネット上のコメントなどをどう受け止めてきたかを聞いた。
本名・住所までネットにさらされて「タイマン張れ」
不良中学生4人が写る画像。そのキメ顔と「チャリで来た。」という文言の落差から2008年にネット界隈で拡散され、2ちゃんねるやmixiに転載されまくった。
そのプリ画像に写る4人の中で、右後ろにいる熊田勇太さん(30)。彼は現在、料理人として飲食店を経営するかたわら、ABEMAの“新婚”観察リアリティーショー「いきなりマリッジ2」に出演したり、その名フレーズをブログタイトルにして日常を綴ったりと、幅広い分野で活動している。
今回、熊田さんにインタビューする機会を得たのだが、彼はプリ画像に写るメンバーの中でも「ヤンチャな人生を歩んできた」という友人・杉船孝太さん(30)を連れてきてくれた。
–––今回は取材に応じていただきありがとうございます。さっそくお決まりの質問をしたいのですが、今日は何に乗ってこちらに……?
杉船 地元の横浜から車で来ました。
熊田 俺は電車っスね。
–––もうチャリではないのですね。まず例のプリ画像はどんな経緯で撮ったのか、ご説明いただけますか?
熊田 朝7時半に起きて、地元の横浜・港南から二俣川までチャリで行ったんですよね。
杉船 「GALFY(ガルフィー)」っていう、ヤンキーが着る服を売っている店までね。
熊田 そうそう。ハンドルを「直角悪絞り」って形に改造したチャリで。
杉船 誰かのチャリにスピーカーついていて、湘南乃風の歌を流していたよね。
–––たしか「GALFY」の店に向かったものの、高すぎて買えず、それでプリ画像を撮ったんですよね。
熊田 そうです。プリ画像は、その店の近くのゲームセンターで撮りましたね。あのフレーズは、プリ画像を撮ったあとの落書き時間に、焦った俺が何も考えずにとっさに書いたものでした。
–––それで有名な「チャリで来た。」が生まれたんですね。そして、プリ画像をSNSの先駆けともいえるウェブサービス「前略プロフィール」に公開し、それが拡散されてしまったと。
熊田 はい。小学6年生か中学1年生のころ、誰が投稿したか忘れましたが、それが「mixi」や「モバゲー」、「2ちゃんねる」に転載されて、ネットで拡散されてしまいました。中学のときには、学校中に知れ渡っていましたね。
杉船 自分と(熊田)勇太は同じ中学校で、個人名や学校名までさらされてしまったんですよ。それを見た他校の不良が俺らの学校に来て、「この5人のうちの誰かとタイマン張れ」とか言われたよね。
熊田 うん。それ以外にも、当時起きたリンチ致死事件の犯人だって言われたり、初めて会う人には必ずと言っていいほど「何に乗って来たの?」って小馬鹿にしながら聞かれたり……さんざんでしたね。
–––それは大変な目に遭いましたね。命の危険を感じたことはありましたか?
熊田 それはないです。住所をさらされてしまったので、十分そういう危険性もあったと思うんですが、幸い命の危険に及ぶようなことは起きませんでした。
杉船 自分も当時、いきなり家に電話がかかってきて「今から行くぞ」とか言われましたが、「そうなの? 来れば?」くらいの感じで。あまり深く考えていませんでした。
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過去には少年院に入った経験も
軽い気持ちで撮ったプリ画像が、瞬く間にネット上で拡散されてしまったという熊田さんと杉船さん。本人たちはそこまで気にせず日常を過ごしていたというが、杉船さんは「チャリで来た。」以降、チャリどころかバイクに乗り始め、破天荒な日々を送ったという。
–––大変な中学生活を送った2人ですが、中学卒業以降はどのように過ごされたんですか?
熊田 俺は(杉船)孝太と一緒に横浜の悪い奴らが行く通信制高校の説明会に行ったけど、結局その高校には行かずに、中学卒業後は調理師の専門学校へ進学しました。
杉船 自分はその通信制高校に入学したけど、3ヶ月くらいでやめました。その後、何もせずフラフラとバイクに乗ったり、喧嘩して傷害罪で鑑別所に3回行ったり、最終的には強盗罪で1年くらい少年院に入っていました。
–––ワルになってしまったんですね。その間も2人は仲良くされていたのでしょうか。
熊田 俺が専門学校に行ってからは、忙しくて、いったん離れていましたね。
杉船 そうだね。自分は別の悪い奴らと付き合うようになっちゃって。
–––杉船さんは、何歳まで悪いことをしていたのでしょうか。
杉船 お恥ずかしい話、21歳ごろまでですね……。
熊田 俺が専門を卒業して横浜の野毛にある店で働いているとき、横浜のサークルメンバーと一緒に渋谷で遊んだりしていたんですよ。その遊びに孝太のことも誘ったんですけど……。
杉船 自分は断りました。「なんで東京なんかで遊んじゃってんの」って感じで、意固地になっちゃって(笑)。
–––再び顔を合わせるようになったのはいつごろから?
杉船 自分は21歳ごろに周りがどんどん落ち着いていき、真面目に仕事をしている姿を見て、「俺、何しているんだろ」って気づき、足場工事の会社で働くようになって。そこで3年働いたあとに独立し、今は足場会社を経営しています。また会うようになったのは、ここ2〜3年だよね。
熊田 そうだね。会って飲んだりするときは、仕事の話なんて一切しないけどね。