「わたしはね、AIとやっても絶対に負けませんよ」茂木健一郎も絶賛する加藤一二三の“天然力” …「秀才」が氾濫する日本に今こそ必要な「天才」のあり方

「神武以来(じんむこのかた)の天才」と言われ、将棋界で数多くの偉業を達成してきた加藤一二三。棋士デビュー70周年を迎える今年、初のロングインタビューが行われた。聞き手は子どもの頃から加藤に憧れていたという、脳科学者の茂木健一郎。加藤は「ぼくがこれまでやってきたことを茂木さんがさまざまな角度から分析してくれたので、非常に多くのことを教えられた」とふりかえる。人はどうすれば「天才脳」を得られるのか? 茂木健一郎に聞いた。

「いつまでも昔の肩書き自慢をしているのはダメ」

――『ほがらか脳のすすめ』の「おわりに」で茂木先生は「人間はすべて、天才である」と書かれています。とてもポジティブなメッセージですね。

茂木健一郎(以下同) 子どものときってみんな天才だったと思うんですよね。まわりの子どもを見ていても思います。それが、大人になるにつれてだんだんくすんでゆく。「二十歳過ぎればただの人」っていうのは、全員にいえることなんです。

じゃあどうしたら子どものままにすくすくと育ってゆけるのか。それが大きな命題です。だから、ひふみん(加藤一二三)が特別な人だっていう前提でこの本を読むと、いちばん大事なメッセージは届かないかもしれません。

もちろん将棋に関してはひふみんほどの才能がみんなにあるわけではないけど、それぞれの道で、なにかしらあると思うんですよ。それをいかに伸ばすかっていうヒントを、ひふみんの天才脳から受け取ってもらえたらうれしいです。

――若さを保つ秘訣として、茂木先生は「脳が若いときになにをしているか」を考えることを薦めていますね。それはつまり「学ぶこと」だと。

学ぶことだったり、新しいことに挑戦したりしていくこと。ひふみんがやっぱりすごいと思うのはあの好奇心ですよ。80歳すぎていろんなバラエティ番組に出てますから。それから将棋だけではなく、カトリックの信仰や、クラシック音楽とか、おどろくほど広い世界観を持ってるでしょう。しかもそれが全部、将棋に関連づいている。

個人差はあると思いますが、年とともに考え方がこりかたまってしまった人もいますよね。そういう人が定年退職すると、急に落ち込んだり、ふけこんだりするので注意が必要です。あとは、いつまでも昔の肩書き自慢をしてたり、逆に若い人でも偏差値・学歴自慢してたりするのはダメです。

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日本人はもっと天然の強さを取り戻さないといけない

――本書では天才を、秀才型と天才型に大別しています。その違いはなんでしょうか。

秀才型というのは、文脈を読んで当てにいく、みたいな能力に長けている。天才型というのは、いわば天然ですね。ひふみんもそうだし、岡本太郎なんかもそうでしょう?

天然っていうのは、「やらかし」ができる能力ですね。天然で、やらかしちゃう人はよく「お花畑」なんてバカにされるけど、だから日本は30年間没落し続けてきたんだと思います。コスパとかタイパとか、そんなことばかり評価してる。将棋なんて、コスパ・タイパを考えたらやってられないでしょう。7時間の長考で1手を指したりするんだから(笑)。

日本人はもっと天然の強さを取り戻さないといけないな。

――天然の価値を大切にするのは人々に希望を与えると思います。というのも昨今、経済力や家庭環境で子の能力が作られるような物言いが当たり前のようにされていますが、そうやって作られるのは秀才にすぎないということなので。

もちろん、経済的に恵まれない家庭を応援するのは大事です。それは前提とした上で、脳の研究をしている立場からすると、学ぶということに関しては、工夫すればなんでもできる。

ぼくの友人で、いま一緒に脳科学の研究をしている人なんて、北海道のド田舎出身で、相対性理論に関する本が中学校の図書室に1冊しかなく、それをずっと借り出して読んで勉強したそうです。

それから知り合いのデザイナーは、子どもの頃、ゲーム機を買ってもらえなかったから、段ボールで「ゲームボーイ」の本体とカセットを作って、空想で遊んでたらしい(笑)。それがデザイナーの才能が開花するきっかけになったんです。

子どもって、退屈が天然の才能を開花させるいちばんのきっかけになることがあって。だから親になんでも与えられて、情報過多になると、退屈して自分でなにかを生みだすそのすき間ができなかったりするので、必ずしもいわゆる恵まれた子どもが天才として開花するわけじゃないと思います。