『2度目のはなればなれ』の監督が語る、名優マイケル・ケインと亡きグレンダ・ジャクソンへの敬愛

『ハンナとその姉妹』(86)と『サイダーハウス・ルール』(99)で2度アカデミー賞助演男優賞を受賞し、近年ではクリストファー・ノーラン監督の作品で卓越した演技をみせる名優マイケル・ケイン。彼が70年以上にわたる俳優人生のフィナーレに『2度目のはなればなれ』(10月11日公開)を選んだことについて、同作でメガホンをとったオリヴァー・パーカー監督は「非常に光栄で、誇らしく思っています」と心の内を語る。

「マイケルは『成功の高みのままでキャリアを終えたい』とおっしゃっていて、本作がそれに相応しい作品だと感じてくれたことがただただうれしかったです。私はかつて俳優をしていた時期があり、その時にマイケルの書いた本を読んで演技とはなにかを学びました。以前から引退を示唆していた彼は、本作の役柄に共鳴して出演を決意してくださった。手術をした直後で歩くこともままならない状態でしたが、カメラが回ると本当にすばらしい表情を見せてくれました」。

■老人が1人でイギリスからノルマンディへ!実在の事件に魅了されたワケ

本作は、2014年にイギリスの港町で実際に起きた小さな騒動を下敷きにした物語。老人ホームで妻のレネ(グレンダ・ジャクソン)と2人で静かな余生を送っていた退役軍人のバーニー・ジョーダン(マイケル・ケイン)は、ある朝突然に行方をくらましてしまう。彼はDデイ上陸作戦(第二次世界大戦中の1944年6月6日、米英加の連合軍がナチス占領下のフランス北部ノルマンディに上陸し、両軍と地元住民に多くの犠牲が生じた出来事)の70周年記念式典に出席するため、1人でフランスに旅立っていたのだ。

「これは決して大きな事件ではありませんでした。ですが、式典へ参加するための申し込みに間に合わず、出席が叶わないはずだったバーニーが、目的を果たすために妻と団結し、大胆な行動に移したことが英国人のなかに根付く“ダンケルク・スピリット”と重ね合わさずにいられなかったのでしょう。マスコミはこのことを非常に大きく取り上げ、世界中を駆けめぐる大ニュースになっていったのです」と、パーカー監督は本作のもとになった出来事について説明する。

パーカー監督といえば、『理想の結婚』(99)や『アーネスト式プロポーズ』(02)から『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』(11)に至るまで、軽妙なコメディ映画を得意としてきた作り手。それだけに、「バーニーについての報道のとおりに映画にしたら、上辺だけの物語になったり、センチメンタルなものになりかねない。それは私の作風とはかけ離れたものになってしまうと思っていました」と危惧していたという。しかしウィリアム・アイヴォリーが手掛けた脚本を読んだ瞬間、そうした不安はすべて拭い去られ、たちまち物語に魅了されることになった。

「ウィリアムはこの事件の奥にあるものを、とても深く、そして丁寧に掘り下げていました。どうしても美化されてしまいがちな戦争や、自国に対して作り上げられてきた神話をどのように映画で語るのか。また、英国では決してポジティブに扱われていない“老い”というテーマへの結びつきも含め、とても心に響くものがありました」。そう振り返るパーカー監督は、自身の父親を通して幼少期から“戦争の傷跡”を見つめてきた経験を本作に重ねたことを明かす。

「私の父は、戦争で兄弟を2人失いました。父自身もビルマで第二次世界大戦を経験し、私の目から見て戦争後遺症のような様子はありませんでしたが、戦争のことを一度も話してはくれませんでした。口にしなくても、様々な想いが父のなかにあることは理解していました。一方で、ウィリアムの父親は重い戦争後遺症を抱え、ドイツ兵への怒りが暴力となって表出することも少なくなかったそうです。劇中でドイツ兵と心を通わすシーンは、そうした経験を組み替えたもの。実在の人物が起こした実際の事件を描いていますが、戦争に関わったあらゆる人々の感情が織り交ぜられていることに強く感銘を受けたのです」。

■「マイケルはマイケルとして、グレンダはグレンダとしてあり続けた」

「だからこそ、登場人物と同じような経験をしてきた方をキャスティングしたいと思いました」と、バーニー役にケインを選んだ経緯を明かすパーカー監督。ケインも10代後半から20代前半にかけてイギリス陸軍に所属し、朝鮮戦争では戦地に赴いた経験がある、英国俳優界ではもう数少ない歴史の生き証人だ。

「マイケルはこれまで70年にわたって、いわゆる労働者階級の人々をとてもエレガントに、そして真実味を持たせながら演じてきました。常に軽妙洒脱な振る舞いを見せ、ウィットに富んだ人物なのですが、それは劇中のバーニーと同じように戦地で思い出したくもないようなものを見て、その記憶をなんとか抑え込もうとして生きてきたからなのでしょう。彼も私の父と同じように、戦地で見たことを一切話そうとはしませんでした。けれど本作の撮影現場でも、その瞳のなかに記憶が蘇る瞬間が何度もあったと感じました」。

一方、バーニーを支え、彼の背中を押す妻のレネのキャスティングについては「非常に賢く、それでいてとてもタフな女性。この役柄にぴったりな方を探していた時に、グレンダ・ジャクソンが相応しいと思いました」と説明する。『恋する女たち』(69)と『ウィークエンド・ラブ』(73)で2度のアカデミー賞主演女優賞に輝いたグレンダは、1990年代前半に女優業を引退し、政界へ進出。80歳を目前にした2015年に女優業を再開した。

ケインとジャクソンは、ジョセフ・ロージー監督の『愛と哀しみのエリザベス』(75)で夫婦役を演じ、それ以来の共演。約半世紀ぶりということもあって互いに緊張していたようだが、撮影が始まると一気に距離を縮め、大ベテラン同士リスペクトを捧げ合いながら2度目の夫婦役を見事に務めあげた。

「2人とも本当にすばらしい演技を見せてくださいました」と、パーカー監督は強い敬意をあらわにする。「政治の道を進んできたグレンダと、ハリウッドに渡って映画スターとして突き進んできたマイケル。それぞれの道を歩んできた2人ですが、本質的な部分は半世紀前から変わっていない。なによりすばらしいと感じたのは、2人とも役柄をリアルに体現しながらも決して演技をしているようには見せず、マイケルはマイケルとして、グレンダはグレンダとしてあり続けてくれたことです」。

本作の撮影を終え、パーカー監督が完成に向けて編集作業を進めていた昨年6月15日、ジャクソンはロンドンの自宅で家族に看取られながら87年の生涯を終えた。その知らせが届いたのは、ちょうどジャクソンが登場するシーンの編集をしていた時だったという。

「これがグレンダの最後のひとコマになるのだと思ったら、せつなさが込み上げてきました。もうグレンダと一緒に映画を作ることができない。そう考えるととても寂しい」と言葉を詰まらせる。「プレミアの際に、グレンダの家族が来てくれて『いままで彼女が演じた役柄で最もグレンダらしい』と言葉をかけてもらいました。劇中でレネが口ずさむハミングは、グレンダの癖をそのまま取り入れたものなんです。グレンダ自身も生前に完成前の仮繋ぎの状態で本作を観て、とても気に入ってくれていました。最後にこれだけすばらしい演技を見せてくれたことに、深く感謝しています」。

最後にパーカー監督は、改めて本作で引退を表明しているケインへの想いを語る。「グレンダと映画を作ることはもう叶わないけれど、マイケルとはまた映画を作りたいし、ひとりのファンとして、彼に演技をやめてほしくないと思っています。でも彼はもう何年も前から引退をすると言い続けていましたが、我々の説得に応じて本作に出演してくれた。きっとまた復帰してくれると信じて、その時が来ることを楽しみに待とうと思います」。

取材・文/久保田 和馬