10月2日に錦糸町駅近くのハプニングバー「Nocturne」が警視庁に摘発され、店長の男が公然わいせつ幇助の疑いで現行犯逮捕された。これで都内では2022年から3年連続でハプニングバーの摘発が続いたことになるが、そもそもこのハプニングバー、どんな者がどんな目的で、そしてどんな思いで生み出した業態なのか。「ハプバー生みの親と呼ばれた男」に聞いた。
「摘発直後は反動で店が混む」
10月2日に摘発された店舗以外にも、都内だけでなく全国各地にハプバーは点在する。当たり前だが、摘発翌日はどこの店も閑古鳥が鳴く。しかしその反動か、週末にはこんな現象が起きるとか。ハプバー生みの親は言った。
「そりゃみんな摘発直後はビビって来ないけど、その反動で週末は混む。昔は単女(単独で来る女性客のこと)なんていなかったけど、今は単女のほうが比率的には多いとすら聞くよ」
ハプバー生みの親の名は川口敏喜(67)。「川口は偽名だけど下の名前は本名ね」と笑う。2000年に元祖ハプニングバー「Purety(ピュアティ)」をオープンさせたが、「もう十分やった」と昨年、店を閉めた。
――元祖ハプニングバーと言われる店はどのように考案し、どんな業態でオープンしたのでしょう。
川口敏喜(以下、同) 最初からハプニングバーって名前があったわけではないです。開店前にもいろんな経緯があったんだけど、私が店を開いたときは、同じ趣味の変態仲間たちは私のことを知っていて、仲間うちでは“普通のバーではない”という暗黙の了解があった。
オープン直後はその仲間たちで盛り上がったものの、新規客が来なければだんだん面白みがなくなるでしょ。だから最初は3ヶ月連続で毎月100万の赤字。まずいなと思って『日刊ゲンダイ』に広告を出したんです。
――どんな広告ですか?
21世紀の変態バー…いやアダルトバーだったかな? そんな感じの三行広告で会員制とも銘打って。反響があって問い合わせはたくさん来るものの、変態客が集うには少々時間がかかった。
それである72時間ドキュメンタリーみたいな番組に感化され、どうせ暇だしGWの3日間、ぶっ通しで営業したんです。そしたら北海道だとか地方からの変態客が集った。それ以降、当初盛り上がってた仲間たちなども戻ってきたんです。
(広告の後にも続きます)
撮影への協力がきっかけで世に知れ渡るように
――それで、どんな流れでハプニングバーなる名前が生まれたんですか?
店内には地べたにプレイできるマットがあって。そのスペースを仕切るようにソファを置いていた。誰かがマットで行為を始めると、みんながソファに座り顔を並べて覗きこむ。
その重みに耐えきれなくなったソファがマット側にドーンと倒れて、人がマット側になだれこんじゃったの。それで「どうせならみんなでやっちゃえ」って大乱交状態に。
みんな一息ついたところで「あれはハプニングだねえ!」って誰かが言うと、ふと私が「そうか、ここはハプニングバーか」って思いついて。そのうち仲間内でもそう呼ぶようになった。
――仲間うちで呼んでたものが、どうしてここまで世に知れ渡るようになったのでしょう。
それはうちに来ていたお客さんが、歌舞伎町や渋谷などあちこちで店を出すようになったのもあるし、一番のきっかけは成人ビデオですね。
私の店の噂をどこかで聞きつけたか、店を舞台にして、女優2名を使ったドキュメンタリー風の作品を撮りたいって言ってきたんです。
制作側は当初「カップル喫茶」という名前で出すと言ってたし、私も「ハプニングバーって名前は出さないで」と言ったのに、売られたビデオには「ハプニングバー」って書いてあって。そこで名前が一気に広がった。
――なぜ「出さないでほしい」と言ったんですか。
それはいつ逮捕されてもおかしくない業態の店だという認識はあったし、あくまで少数派の変態が密かに楽しむ場であったし、ましてや金儲けのために広く認知させたいなんて思わなかったから。
――であれば、なぜ撮影に協力したのですか?
決して金儲けのために引き受けたわけではなく、制作者の熱意かな。私の撮影現場での役割は、場所貸しと監督的な役回りでした。
主に男優たちの立ち回りに「そんな風に声かけないよ」とか言って演技指導なんかもして。変態的なジャンルの作品があってもいいのではないか、その記録のひとつかな、というような思いもあったからです。
――その作品に出たことでハプニングバー業界はどう変化したんですか。
有名男優も関係してオープンしたと言われている六本木の『鍵』という店とかが派手にオープンし始めたし、最盛期は歌舞伎町だけでも12店舗はあった。
そしてより本格的にプレイができるように、店内にシャワーやロッカーをつけたりと、通常のバーではない構造の今の業態の店が増えました。
――川口さんが最初にオープンした店にはシャワーはなかったんですね。
ないよ。最初の店は新宿バッティングセンターの近くで、狭くてただ地べたにマットを敷いてソファがあるくらいでした。
でもお客さんから「マスター、他の店にはシャワーもあるんだからつけてよ」と言われ、面倒だと思いながらも場所も変えてシャワーやロッカーなども完備し、リニューアルオープンすることになったんです。
――客の中には芸能人なんかもいたんでしょうか。
お客さんのことは言えないかな。でも慕ってくれた人はいましたよ。
――そもそも川口さんにはハプニングバーを経営してた当時、罪の意識はあったんでしょうか。
当然ながら、公然わいせつの罪に問われるものだという認識はあったけど、私がハプニングバーを開いたのは趣味の居場所を作りたかったからで、罪だとは思っていませんでした。
もっと規模を拡大して商売することもできたけど、それをしなかったのは趣味だったからだし、これで儲けるつもりがなかったからです。
――とはいえ、儲けたんじゃないですか。いい車だとか時計だとか。
ないない、儲けても店の改築費や維持費に消えて残ってないですよ。
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後編では近年“ハプニングバー業界”でみられるシステムや客層の変化について、川口さんの心情を聞いた。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班